みんなで仲良く、っていう言葉の意味

過去の回想と内省

「みんなで仲良く」って言葉があるけど

発達障害っぽい私も、発達障害っぽい私の親も

それを本当に、お友達として仲良くって思っていて

 

定型のいう、「みんなで仲良く」は
  • 嫌いな人や迷惑な人は無難に流して
  • 用件は好き嫌い関係なく用件と割り切って進めてね

みたいな意味も含まれて、「みんなで仲良く」って

言ってるのかなあって思った。

本当にお友達のようにみんなで仲良くしなさいって

言ってるんじゃなくてさ。

 

中には、不器用な子相手に、

お友達として「みんなと仲良くしろ」って言ってしまう

合わない教師もいるけどね。

発達障害っぽい私、そして親も発達障害っぽいという環境で

親自身、

無難に流して本当に仲良くなった人とだけ仲良くしてればいい

ということがわかっていなくて、

みんなで全員で仲良くしなきゃいけない、と思ってるとこがあったと思う。

非現実的な真っ白な世界、

ドラマのワンシーンだけ見たみんな仲良い世界みたいな。

それを現実に持ってきてしまう迷惑。

スポンサーリンク

自然に仲良くなった人とだけ仲良くしていればいいし、

もし誰とも仲良くなれなくても、

最低限、迷惑さえしなきゃそれでいいと思う。

 

社交辞令、用件という意味のみんなで仲良くと

本当にお友達として仲良くっていうのとでは意味が違う。

 

みんなと仲良くなれないなら、あなたが悪いみたいな

そういう間違った強要が

私の人生を摘み取ったと思います。

私も私で、自分で言うのもなんだけど元々真面目で頑張り屋なので

「本当にみんなと仲良くしようと努力し続けようとして」、

そして何かがズレていてみなさんから距離を置かれる、

これを繰り返し続けてどんどん疲れて、それでも

頑張ってしまう、限界まで頑張り続けて最後心が壊れる。

 

もし親に、近い人を大事にする認知があったら

みんなで仲良く出来ないのはダメみたいな強要を私にしなかったと思う。

近い人を受け入れる認知があれば、自分の子供がこんなに頑張ってるのだから、

それで出来ないのなら、この人はこういう人って受けいれる認知を使えたと思う。

発達障害っぽい由来の原因もあると思うけど、それ以上に

問題なのは近い人を大事にしない、認知のズレだと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました