いい人アピールをする人の認知や心理、なぜ自分をイイヒトに見せようとするのか

イイヒトと思われようとする癖が染みついている 過去の回想と内省

悪意って決めつけて否定してくるような人が

家族など、ごく身近にいた環境で育った人は

何か起きる前から

疑われてもいないのに身の潔白を晴らそうとしたり

これこれこういう理由であなたのためにこうしたの、私優しいでしょ?みたいに

聞かれてもいないのに自分から説明をしたりする。

否定された前提に答える例え

誰も疑っていないのに弁解を始める

否定された前提の返しで周囲をイライラさせる

誰も疑っていないのに自分が疑われたことを前提に話をしてきたり、

無自覚に、いい人アピールする認知は

次の世代も次の世代も

負の連鎖で引き継がれてしまう。

 

人の不幸に楽しみを覚えるような黒い人とはまた違う、

人にどう思われるためだけに生きるような認知が出来上がってしまう。

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人に良く思われるために生きてしまうと用件にピントが合わなくなる

必死に周囲に気を遣って好かれよう、嫌われないようにしようとする人よりも

用件には集中できるからか

悲しいことに、人の不幸に楽しみを覚えるような根っから黒い人のほうが

人間関係の輪からはみ出なくて、うまく回る。

いい人って思われたいみたいな、用件を見れてない人のほうが

本当に善意で人に接しても、嫌われていくんだよね。

 

なんでも悪意と決めつけられて、やがて

いい人って思われるために生きるような認知になってしまうと

無自覚に、イイヒトって思われたい行動言動をするようになってしまい、

外面、世間体を取り繕うことばかりに必死になり、その結果

近い人も大事にしてなければ、用件も見れてない。

 

悪意を疑われる前提の認知になってしまっていて、

はたから見たら「は?」って思われて

それがまた人を不快にさせたり。

 

毎回毎回、私は善意でやったのアピールをされたり、

誰も疑っていないのに、私は不正をやっていないアピールをされたら

普通の人にとって、その様子はおかしなものに映るし

同じことの繰り返しに、だんだん周囲も疲れてきてイライラしていくよね。

 

常識を守ることは必要だけど

イイヒトって思われる必要もなければ

特別良い人間である必要もない。

 

トラブルを起こさず、迷惑をかけず、やることやっていれば

別に、特別優しくなくても明るくて楽しい人でなくてもいい。

特に私の家系のような不器用な人間は、

人間関係をうまくやろうとするよりも

マナーは守って、その場のやることをやっていればいいと思うんだよね。

つまらない人と思われてもトラブルを起こさなきゃそれでいいでしょ。

変に好かれようとしたり、嫌われないように必死になって

その結果、人を不快にしたり迷惑をかけたりするよりは

あまり喋らないおとなしい人でいたほうがいいと思うんだよね。

 

アダルトチルドレンや機能不全家族って、

子と親だけの問題ではなく

先代そして、先代も先代から

引き継がれたものだと思う。

どこかでその負の連鎖を止めなくちゃいけない。

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