発達障害っぽい人や不器用な人は変わろうとしないほうがいい

無理に性格を変えようとして違う自分を演じても余計困った人になってしまうだけ過去の回想と内省

新しい趣味を始めてみたい、新たな目標を持ちたいなど

具体的内容で変わろうとするならいいことだと思うのですが

引っ込み思案な性格を変えたいとか

暗いから明るい人になりたいとか

性格的なものは変えようとしないほうがいいと思います。

それをしようとすると

発達障害っぽい人や不器用な人は

元々不器用なところを更におかしな行動をとってしまうからです。

そして余計、やらかしてしまったことに凹み、疲れます。

無理に性格を変えようとして違う自分を演じても余計困った人になってしまうだけ

人間、一日二日では変わらないものです。

 

何か、やりがいのあることを見つけて

楽しいと思えた時に気づいたら変わっていたということはあると思います。

しかし、明日から積極的な人になろうとか

性格的なものだけを変えようとしても

どうやっても元の自分は変わりません。

 

今の私が、これで私なのです。

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色んなキャラを演じ続けた

物事を表面でしか見れていない認知の弱さからくるものもあるけど

子供の頃から否定しかされなかった私は

色んなキャラを演じてきました。

いい人、明るい人、おとなしい人、真面目な人、

謙虚な人、面白いキャラ、天然キャラ、サバサバ系など。

元々不器用なので演じ切れていないけど

どの私なら受け入れてもらえるのか、色んなキャラを演じました。

演じる習慣が身についていました。

否定しかされない人生だったので色んなキャラを演じてきた

元の私では否定しかされてこなかったので、

何ならいいのか、素の自分ではいられないのです。

しかし中身はそのままなのに性格が変わるわけもなく

無理にキャラを演じるところが更に嫌われてしまいます。

場を盛り上げようとして明るいキャラを演じるなど

たとえ動機は善意だったとしても

虚言癖、自分を偽る困った人という評価しか得ません。

定型だったら「まあ、盛り上げようとしてくれたのかな」って思われても

普段からトンチンカンな私は元々信用がないのです。

一般的に良いとされていることは定型向けになっている

少なくとも日本は定型ベースで出来ていて

「積極的に入っていかなきゃ駄目だよ」などの言葉は

空気を読めること前提の定型に向けた言葉なのです。

一般的なアドバイスは定型向けのものになっている

物事の解釈に弱いまま周囲に適応しようと一生懸命頑張れば頑張るほど

私のように不器用な人間は更なる迷惑を生んでしまいます。

私自身、私は何が好きで、何がやりたくて、

本当の私はどんな性格なのか見失っていました。

何をどうしたいのか自分のことは自分にしか決められないこと

法律違反でもない限りは

何なら良くて何が正しいなんてないんですよね。

人のを見て、何なら良い、何なら正しいという発想自体が

ズレていて

本来、自分のやりたいことをやって

私が形成されていくものだと思います。

無理に自分を変えようとせず無難にやり過ごす

私は疲れるほどに変な頑張りを見せるところがあって

自分じゃない自分をやろうとして

トラブルに発展してしまうので

頑張らない、変わろうとしない、今のままでできることをやる、

走らない。

不器用な私にはこれが無難だと思います。

例えば皆さんが積極的に討論している中、

消極的な私は何も発言できないとしても

時間になれば解散となり

黙ってやりすごせばそのうち終わるので

できないものは仕方ないので、ただ無難にやり過ごせばいいと思います。

輪の中に入っていけなくてもやり過ごせばやがて解散の時間が来る

人が集まれば誰かしら司会進行役、積極的に物事を進める人がいるから

用件や何時までその場所に居なくてはいけないという義務だけ果たして

黙って静かにしていればいいのです。

つまらない人、なんか嫌な感じ、そう思われても良いから

走って滑って周囲の気分も害して私にもトラウマとして残ってお互い嫌な思いをするよりも

できないのならやらないほうが結果的に良いと思います。

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