嫌われる原因 自他の境界線が欠けている

過去の回想と内省

なぜ人に気を遣って生きていても

人に嫌われていくのか、という原因の1つ。

 

自分のことと、他人のことの区別がついていない

自他の境界線の欠如だと思う。

 

例えば、13時に待ち合わせした、相手が13じ30に来た、

なんで時間通りに来ないの?と文句を言うのは

こちらを巻き込んでのことなので妥当だと思う。

 

だけど、良心、善意であっても

人のこと、人が決めること、自分を巻き込んだことではないこと、

人の自由、という事柄で

無自覚に、まるで自分のことかのように

ああしたらこうしたら、こういうもの、こうすべき、と

言ってしまっている場合がある。

こういうのが

「イイヒトなのに嫌われる理由」のうちの1つじゃないのかなって思う。

 

自分もそうだったけど、

今回は私の世界で見た、他者の例を挙げます。

 

その人をAさんとします。

Aさんは、集団の中にいれば中心にいるような

明るくて積極的で容姿も良く、お洒落で、気さくで、

意地悪をするわけでもなく、普通にイイヒトでした。

 

だけど、なぜか嫌われていました。

浅い関係の人は特に何もないけど、ちょっと深く関わった人は

みんな嫌っていて、なぜなのか不思議でした。

イイヒトを装っているけど裏では実は…ということもなく、

少なくとも人の不幸を楽しむような黒さはありませんでした。

 

ある時、少し深く関わった人から聞いたのですが

 

プライベートでみんなでバーベキューに行ったようなシーンで

進んでサクサク動く子もいれば、

じゃあこれをやろうっていう誰かの司会進行がなければ

後ろの方で黙って立っているような子もいると思うのですが

 

人によって得意不得意、好きなこと嫌いなこと、

性格の違いがあるので

積極的に動く人もいれば、消極的な人もいて

それはただの人それぞれ、性格、個性の話だと思うのですが

 

プライベートで遊びにいっているシーンで

Aさんは、お友達に

「自分からすすんで肉や野菜を焼いたりしなよ」と言ったことが

Aさんが嫌われている理由として人づてに聞いた話です。

この件がきっかけに嫌われたわけではなく、

なぜ嫌われているかの一例なんだと思うけど。

こういうことが積もり重なると、不快に思う人もいるのかもしれない。

 

職場の人との行事だったらわかるけど、プライベートだから。

前線で、はいはいこれはこうね!って仕切る人もいれば

後ろの方で静かにしてるのも人の自由で。

みんながみんな、仕切っていけるような人というわけでもないし。

 

Aさんの話はここで終わり。

 

たとえ、こうしたほうがいい、と思うことがあっても

複数人や団体で何か1つの物事を成し遂げるような

人を巻き込んだことや連帯責任ではないことは

自分の考えは、あくまで自分の考えであって。

自他の境界線、っていう話においては

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自分の言っていることが正しいか間違いかという話はまた別の話で

たとえ自分の発想が正しくても、

他者のことは他者が考える事であって

自分が言うべきではないっていう、線引きが必要なのだと思う。

 

本来、自分のことちゃんとやってたら

人に憑依するほど他者のことマジマジと考える暇はないので。

よその子ばっかり肯定的に見て自分の子は否定しかしない、

嫌われたくないに捉われ生きていた、認知のズレたうちの親もそれと同じだと思う。

 

例え悩みを打ち明けられたり、アドバイスを求められたんだとしても

感情的にまるで自分のことかのように憑依するように

モノを言うのはやめたほうが良いと思う。

ただ、うんうんって聞き役に回る程度が無難なのかなって思う。

それが親友以上の関係だったら、あくまで私はこう思うって言うのは良いと思うけど。

 

自分が正しいと思ったことは自分の人生でやれば良くて。

それを他者に対しても、こうすることが正しいって憑依してしまう、

自分と他人の区別がついていない、

自他の境界線がないことが嫌われる理由の1つかなって思う。

その自他の境界線は、たとえ家族であっても必要だと思う。

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