人間関係に最も重要なことは距離の把握

過去の回想と内省

誰だって完璧じゃないし良いところも悪いところもあります。他の面は多少問題があっても困った面はスルーして相手にされても、1つだけ、これが出来ないと人が離れていく重要なことがあります。

それが距離の把握

  • 仲良い人を大事にして、仲良くない人は流す対応に留めるという意味での距離の把握
  • 自分と他人との線引き、人のことは人のことという意味での距離の把握

これが出来ないと、特別性格が悪いわけではなくても、致命的に嫌われたり、もうあなたとは関わりたくないんだというレベルに、強く距離を置かれたりします。

距離の把握や自他の境界線欠如よりも、もっともっと、関わると厄介な人はたくさんいるのに、どうして距離や自他の境界線の把握に乏しいと、こんなに嫌われるんだろうね。ちょっとは嫌な気分になるかもしれないけど、被害としてはそんなでもないのにね。

黒く立ち回る人間は、人を攻撃したり陥れて、人の悲しい顔を見ることが目的なので、関わってしまうと被害をくらいます。でも距離や自他の境界線の欠如は特に実害はないんだよね、本人が自滅しているだけで。それでも黒い人間のほうが輪からハミ出ないんだよね、距離や自他の境界線は把握していて、やることは出来ているというのはあるけど。

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人が、距離の把握や自他の境界線が欠如した人を強く嫌うのは、人間の本能なのだろうか

普通の範囲内ではあるけど、さんざん自己中でイチイチうるせー奴でも近い人を大事にしていたり、生き方については相手の人生は相手の人生とわきまえている人も輪からハミ出ない、それを例えると、その服変じゃない?とは言うけど、その生き方おかしいよとは言わない。

もうこっちこないでレベルの距離置きをされるのは距離の把握や自他の境界線がない人。

以前、喋ることと言えばいつも人の生き方を批判している人がいた、その人をBとする。

私は誰のことも信用していないから、へえふーんって聞いていた。悪口に加担してしまうと、万一、私が誰さんの悪口言ってたよって漏れたら、私はそこからどうにかする力はないし、よほどの親友でもない限りは、基本、心を開かないから。過去の私は表面上は距離なしだったと思うけど心の中は誰よりも壁を作って接していたと思う。

自他の境界線の欠如とは、人のことなのにまるで自分のことのように感情を抱く

Bはいつも人の生き方に対して本気で怒りを込めて、連帯責任でもなく自分には関係ないことでも誰は一生懸命やっていないとか、その選択はもったいないとか、そういう話ばかりだった。

今思うと、ちょっとズレているところもあった人なのかなあと思うけど、全体的な能力が高く、常識的な立ち振る舞いも出来るし、行動力、積極性もあったからトンチンカンな私はただ気の強い人くらいに思っていた。

Bはある日を境に一部の人たちから、避けられるようになった。その一部の人たちをDグループとします。元々は、BはDグループとまあまあ仲が良かった、いつも行動を共にする仲ではないけど、普通に喋ったり遊んだりしている感じ。

なんでDグループから避けられるようになったのか事実はわからないけど、推測でしかないけど、自他の境界線なく人の生き方を批判するからじゃないかなあって思う。

自他の境界線なく喋ってしまうと、相手への人格否定につながってしまう

ポンコツな私とは能力は全く異なり、私から見たらかなりのハイレベルなんだけど、ちょっと似ているところはあったかな。特にBと仲良かったわけではなく知人程度の関係だったけど。

ただ私は、悪口が本人に伝わったら面倒くさいから、誰にも悪口を言わないだけ。

人のことなのに自分のことかのように感情移入してしまう、そういう要素は私にもあったと思う、口に出さないだけで。

人の自由な事柄を否定する、人の生き方を否定するということは、1人の人間を否定してしまうことになるから、人格否定となってしまい、最もやってはいけないことなのかもしれない。

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