静かなる苦境

過去の回想と内省

私の家庭は両親とも真面目で

嗜好品も遊びらしい遊びも全くやらないような親です。

かといって教育ママっていうわけでもなく

裕福ではないけど特別貧乏でもなく

生活に不安を感じるような心配もなく

一見温かく幸せな家庭なのです。

親があからさまに意地悪だったら

親が悪いってわかると思います、

機能不全家族とは、それぞれの難しさがあるので

どっちのタイプのほうが楽とか辛いとかっていう話ではないし

人と比べるものでもないと思うけど。

特にこれといった問題はなく平坦で温かい環境なのに。

私は、一見、温かい家庭で育ったのに

なぜ目立って私だけ何かがオカシイのか

問題がわからないゆえに全てを自分が悪いのだと思って

原因にも気づけないからどうしたらいいのかわからなくて辛かった。

 

今、振り返ると両親とも幼稚で不器用だったのだと思います。

愛そうとする気持ちは本当なんだけど

両親自体、不安定なまま親になって

自分のために生きるという発想ないまま親になって

私が子供時代の時点での親は

親になる器が足りなかったと思います。

 

それを例えると、トランペットを全く吹けない私が

今すぐコンサートに出れるレベルに吹けるようになれと言われても

無理な話でしょう?

向いているか向いていないか、努力したら出来るか出来ないかもわからない。

一生出来ないかどうかはわからないけど

今出来ないものは出来ない。

やる気はあっても、一生懸命考えても、努力しても

無理なモノは無理でしょう?それと同じことだと思います。

 

私の親の世代は

現代以上に、可能な限りは結婚して家庭を持って

子供を持つモノという風潮の時代だったと思うので

まともに子供を育てる器のない私の両親が

親となってしまったことは時代背景として

仕方ないとは思います。

 

私の両親に欠けていたものとは

自分のやることをやるために生きるという発想だと思います。

子供を愛そうとする気持ちは本当なのに

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「よその人にどう思われる、嫌われたくない」に全力で

自分の子供を全く大事にしていませんでした。

 

子供時代の私が、学校のお友達の話をしても

うちの子がよその子を傷つけていないか見張る発想でしか聞いていない、

ただ子供が楽しくお話していることを楽しめばいいのに。

 

親は、近所のママさんなど、よその人の顔色うかがいに必死で

そのストレスを子供にぶつけてきたりもしました。

 

そして、親自身の劣等感を子供に投影して

よく知りもしないチラ見しかしてない、よその子を褒めちぎって

自分の子は根拠なくあれもこれも全否定して

うちの子は私たちの子だから駄目、低いという発想でした。

 

外の人との人間関係は、無難に流す程度に留めて

家族内で幸せだったらそれでいいじゃん?って思うんだけどね。

 

悪気はなくても、まともに子供を育てる力がないのであれば

毒親なのだと思います。

 

幼稚な両親は、不器用でうまく出来ない私を責めるけど

私だってなりたくてなっているんじゃないし

私だって出来ることなら普通の子と同じ毎日を送りたかった。

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