ふと思ったんだけど
私が子供時代の道徳の時間に習ったことと言えば
- 親を敬う気持ち
- 人に何かをしてもらった時の感謝の気持ち
- 嘘をつくと結果的に自分が疲れる
- 家族の話
- 伝記や世界的に有名な物語をピックアップ
というような内容だったと思う。
これらも、もちろん大切だと思うけど
あんまりイジメ問題については触れていなかったように思う。
今の時代はわからないけど、私の子供時代は
人として正しく生きようとか、
困っている人がいたら助けよう的な話が多かったように思う。
私は道徳の授業でこそ、
弱い者を見つけて煽ったり嫌がらせすることは恥ずかしいことなのだと
子供のうちから教育すべきだと思う。
診断の出ている、出来なくて仕方ない事情の人を
笑ったり馬鹿にしたり嫌がらせしてはいけないことは
子供のうちから教育されていると思う。
病気まではいかない、病気という診断は出ない、
著しく不器用な子というのも、どこにでも存在します。
そういった不器用な子に対して執拗に嫌がらせする人もいます
いじめをやめなさいと言ったところで
いじめをするような人はやめないと思う。
満たされている人間は言われなくてもイジメなんかしないし
満たされていない人間はやめなさいと言われてもイジメをします。
教育をすればイジメがなくなるとは思わないけど
それでも、子供のうちから
出来ない子を虐めるのは自分が恥ずかしいんだと教育すれば
意味はあると思います。
大人になれば合わない人は黙ってスルーするけど
子供のうちは思うがままに発言してしまうから。
まともな精神を持った人にしか伝わらなくても、
弱い者イジメは恥ずかしいことなのだと教育することは
意味があると思います。
人に嫌がらせをしても自分に何の実にもならないという意味で
弱い者イジメは恥だと思います。
黒い人間、虚しい人間はイジメをして相手の悲しい顔困った顔を見て
その時は楽しいんでしょうけど、意味あるものを何も得ない。
他の人は自分のためにスキルや経験を積んでいるところを
黒い人間、虚しい人間は意味のないことを延々と繰り返しているのです。
別に、興味がない人と仲良くしてあげる必要はないと思います。
「みんなで仲良く」という無理な話がまた、イジメを生むような気がします。
合わないのなら、ただスルーして関わらなければ良いだけで
好ましくないからって意地悪をするのは間違っていると思います。
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