でもその時は全力で頑張ったんだぜ?

過去の回想と内省

体調の回復と共に脳が回復して

色んなことがわかるようになった。

あの時ああだったのかなこうだったのかなって。

 

天命を全うする日はまだまだ先だと思うけど

まるで走馬燈のように

毎日、過去がフラッシュバックする。

できなかった、仕方なかった、素で当たり前のことがわからなかった、

どうしたらいいのかわからなかった。

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客観的に見て、なんでそういうことをするの?

過去の私の行動言動はそういうことばかり。

 

毎日毎日、過去が自動的にフラッシュバックして辛い。

普段は忘れているようなことも

夜中に目が覚めた時に突然、脳内に映像が流れたりする。

人生をリタイアする気は全くないけど

非現実的に、消えたいって思う。

ある日突然消えることが出来たらいいのにって。

非現実的に、今すぐ人生をクリア出来たらいいのになって思う。

くれぐれも、人生をリタイアする気は全くなく

漫画やアニメを見て空が飛べたらいいのになって思うのと同じ感覚の

現実ではないことをわかった上での、消えたい。

でも最近ふと、その時は一生懸命やったんだぜ?って思った。

至らない、迷惑、痛い人、みじめ、それはわかるけど

その時の状況では仕方なかったし

その時の私なりには全力で頑張ったんだぜ?って。

 

悪意持って人に何かをする発想はなく

能力が足りなかった、というのが一番近い表現だと思う。

 

頑張ったんだからもういいじゃんって。

その環境下では最善を尽くしたよって。

例えば、箸やフォーク、スプーンを使って食事をする日本文化で

もしも食事はあるのに箸やフォーク、スプーンがなくて

でも食べないと飢餓に接する状況で

手で食べるしかないじゃん、

お米も味噌汁も鮭も手で食べるしかないじゃん?

それは日本文化においては非常識で下品かもしれないけど

生きるためにそうせざるをえなくて、

ないものは仕方ないじゃん。それと同じことだと思う。

普通の人にはあるものが私にはなくて

ないから出来ませんって出来なくて

ないのに普通の人と同じことをこなさなきゃいけない状況を

子供のころから大人になってもずっと長い年月過ごしてきた。

私は、よくやったじゃんって思う。

これが私の強い耐久性と持ち前の明るさ。

 

私と同じ状況で長年過ごしたら

人の悲しい顔に楽しみを覚える黒い人間に成り下がったり

人生のリタイアを考える人だっていると思う。

 

当たり前にあるはずのものがない状態で

私はよくやったし偉いと思う。

 

仕方なかった、その環境下ではよくやった。

そうやって自分を許すことで

人の気持ちがわかる人間、人を許すことが出来る人間に

なれるのかもしれない。

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