一生懸命やってるのに否定するのは精神的虐待ではないのか

過去の回想と内省

お金や生活がかかっている大人の世界では

やることできてないと迷惑なので、

一生懸命やっていてもやること出来てないのは

出来てない、とみなされるのも仕方ないと思う。

注文したのに商品来ないと困るのと同じことで。

 

でも子供のうちから

一生懸命やってるけど出来ないことを

否定してしまうのは

人格否定や精神的虐待じゃないのかなって思う。

出来てない本人だって、うまくやりたいんだよ、自分のことだから。

やる気すらないとこまでいってるのは

最初からやる気がなかったのではなく手に負えない状況だから。

例えば100m走に全力で走っても30秒かかる人がいたとして

今すぐ10秒台になりなさいって言われても無理な話。

あまりに無理なことに遭遇した時、諦める、放棄するのもまた

妥当な答えではないだろうか。

例えばストーカーだって、相手はひたすら無反応を続けても

楽しくもない暴言メールをいつまでも続ける、

それはある意味、粘り強さであり

「無理なことは諦める」こともまた必要なストッパーだと思う。

 

やれば叶う努力、そして自分のためにやる必要があることで、

出来る努力をしないのであれば、そこで初めて

怠慢というのではないだろうか。

幼稚な親から私への否定や怒りは

それやっても、なんの身にもならないことや

どうやっても今は出来ないことでした。

そんなの無理だからもういいわ、その開き直りは

子供ながらに、間違ってはいない答えだったと思う。

 

悪気はないのはわかりますし、愛は本当だったと思います。

ただ、親自身が不安定なまま親になって

ちょっと子供を持つ余裕はなかったんじゃないかなって思います。

昔の時代は今よりも、結婚して子供を生むもの、という時代だったので

仕方ないとは思うけど。

 

親が子供を守ってくれるどころか

親は外の人に嫌われないために顔色うかがいに必死で

外の人の味方で、子供を守ってくれないどころか

子供が、不安定な親を必死にフォローしているような状態でした。

当然、私はおかしくなります、そして私は問題児扱いされます。

はたからみたら私は問題児だったでしょう。

そうなると、よその目を気にする親の怒りが全て私に来て

更に私は疲れていきます。

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ただただ毎日毎日私に否定の言葉をかける私の両親。

父親が否定の言葉を発する理由は、意味のない冗談のつもり

母親が否定の言葉を発する理由は、母親自身の劣等感の投影

 

馬鹿にして否定して煽って怒りをぶつけるわりには

じゃあなにをどうすればいいのか

やり方を教えてくれたことなんて一度もない

ただ否定するだけ。

 

子供のうちから大人のような絵や字は書けないし

今まで積み重ねてダメになっているものを今すぐチャラには出来ない。

出来なくて当たり前のことも馬鹿にして煽って笑って怒って否定され、

それでも子供時代の私は「全て自分が悪い」と思ってしまうのです、

出来てないこと、駄目なことを自分でわかっています。

わかっているけど、どうにもできないこともあります。

これでも根は真面目です、何も気にしてないわけではない。

泣くのも悲しい顔をするのも両親から馬鹿にして煽られるので、

本当は傷ついていても、気にしていないふりをしていました。

私だってね、感情論でああしろこうしろじゃなく

スキルとして意味あることを身につけさせて欲しかったし

普通にやってれば普通に受け入れられる

普通の人生を送りたかった

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