欲しくもないのに買った高価なミシン

過去の回想と内省

今回の記事は、

前の記事に書いた内容の

用件でもない交換・共有・シェアは必ずしもしなくて良い
うちの親は、人目を気にするためだけに生きているわけに 人と交流する恩恵を受けていない。 ただ我慢するだけ、譲るだけ。損をするだけ。 仕事等の用件だったら仕方ないけど 自由に選べる人間関係において、元々、 お互いにメリットが発生するように交流...

具体的一例。

 

私が小学生の時、

同じく小学生の私の一歳年上の兄が小学校の家庭科の授業の課題の

巾着かエプロンかなんかが、学校で終わらなくて

 

ミシンを買うハメになった。

 

別に学校からミシンを買わされたわけでも買えと言われたわけでもないけど

兄が学校の授業の時間内に終わらなくてどうしようって感じだと思う。

 

親も子供(私や兄)も、真面目すぎる真面目な性格だから

終わってない人は家でどうにかして終わらせてねって方向になると

やらなきゃいけない感に捉われてしまうんだよね。

 

親同士でミシン貸してって言えるような友達は親にもいなくて。

当時、ミシンは今以上に高価なものだから、

子供同士で貸し借りの約束は出来ないしね。

よそ様のミシンを子供が触って壊したりしたら厄介だしね…

 

当時は今みたいに大量生産の時代じゃなかったから、

今だったら家庭的な裁縫をこなす程度で良ければ

1万円くらいからミシンは買えると思うんだけど

当時は、メーカー品をミシン専門店で買うしかないような時代。

ミシンは高価なものでした。

 

そこを、たった一度の、兄の小学校の課題のためだけに

ミシンを買ったうちの親。

別にね、それ自体はそれでいいと思う、

買えるお金があって、買ってもいいと思っていて

それで子供が学校で気まずい思いをしなくて済むなら

別にいいと思うんだけど。

 

それは、1つ前の記事にも書いた、

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「シェアしていく交流が出来ないから全部1人で用意する」

っていうやり方だよね。

親自身もそうだったら、

子供に、

みんなに好かれて嫌われないために生きるような生き方を

強要しないで欲しいって思う。

 

言ってることとやってることの矛盾。

 

そのミシンは兄の小学校の課題に使ったっきりで

機械音痴の母親は全く使わず。

父親は機械操作は得意なほうだけど家事もしないし裁縫にも興味がないので使わず。

兄も使おうとすることはなく。

 

そのミシンは結局、私が

バッグを作ったり、スカートを作ったりして使っていた。

 

私は何か作るのがそこそこ好きなので、その後もう一台ミシンを買ったけど

正直なところ、兄の小学校のたった一度の課題のために仕方なく買った

メーカー品の高価なミシンは非常に使いづらくて、

大量生産の時代になってから買った、有名メーカーのミシンではない

1万円程度で買ったミシンの方が使いやすかった。

 

学校の先生も先生で、

ミシンはどこの家庭にもあるものではないんだから

学校の中だけで終わらせる方向に促せばいいのになって思う。

ミシンがおうちにある人がいたとしても、

学校でしかやってはいけないルールにしたら

学校で終わらないからってミシンを買うっていう発想にはならなかったよね。

 

私もミシンの授業は小学校であったけど

私の時の担任は家で出来る人はやってきてねというニュアンスすら見せなかったけどな。

ちゃんと全員に、かわりばんこにミシンが行き渡るようにうまく回っていたと思うし。

 

今の時代だって、持ってる人は持ってるけど

持ってない人は持ってないって感じだと思う。

ましてや当時は高価なものだったのだし。

 

言いたかったことは、シェアしていく交流を立ち回れないのなら

それ自体は、そういう人なんだ、ということでそれでいいので

自分じゃない自分を演じようとせず、ありのままの自分を受け入れて

割り切って、無理に交流しない方向で生きたらいいと思うし

自分ら親がそうなんだから子供に対しても

好かれるために嫌われないために生きることを憑依しないで欲しい。

親自身が自分自身を受け入れていたら、そのような憑依を自分の子供にしないはず。

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