過去の私は善意で一生懸命やっているのに
- いつの間にか相手が怒っていたり
- 流す対応のみで避けられていたり
基本、嫌われ避けられ人が離れていく人生でした。
自己中心的で我儘し放題とか、怠慢でやることやらないとかだったら
嫌われるのもわかるのですが
真面目に一生懸命やって、怒らない、人の悪口を言わないって徹底しているのに。
どうして。
なぜ嫌われるのか
なぜ人が離れていくのか
その答えは、巻き添えをくらうからだと思います。
私の言動行動により一緒にいる人にも不利益が生じる
私は一生懸命やっています。
悪意で誰かを陥れようなんて気持ちはなく、
本当に素の善意で動いています。
なんだって真面目に一生懸命やっています。
しかし、トンチンカンな私が考えて何かをしたところで
あまりにも場違いで非常識で、自分にいいように動けていなくて
結果的に、一緒にいる周囲も巻き添えをくらってしまうのです。
だから、距離を置かれて、人が離れていくのだと思います。
自分にいいように動けないということは、
その時一緒にいる人たちにとっても不利益な対応しか出来ないということですから。
人間関係とは同じ作業を分担しているチームのようなもの
友達とかグループとかクラスメイトとかチームとか同僚とか、そういうのって全て
その時やることを分担する仲間だと思うのです。
- やることが出来ていない
- 効率が悪い
- 変に思われる発言や行動をしてしまう
それらは悪気はなくても、
よほど親しい間柄であったり、私をお仲間に入れるリスクやハンデを背負ってでも一緒にいたいと思えるような共通の趣味などがない限りは
一緒にいたくないな、ってなってしまうと思うのです。
それを普通の人は「じゃあそうならないようにしたらいいじゃん、当たり前のことじゃん、なんで出来ないの?」という感想だと思います。思考力を取り戻している今、過去の私に対して、私自身がそのように思います。
迷惑は迷惑、それ以上の答えはないので、事情があるからといって迷惑が許されるとは思っていませんが
低血糖で頭がフラフラで、医学でも診断が出なくて、やむをえなかった。
これが低血糖なのだとわかっていれば私もその対策をしました。
発達障害の原因が低血糖とは断言出来ないけど、発達障害っぽい症状が出ている人の中で、実は脳自体は健常者で低血糖によりそのような状態になっている人も存在すると思います。
今、冷静に考えると、人が離れていくのは当然だったと思う。
なぜ失言やトンチンカンを許容される人もいるのか
角を立てる発言やトンチンカン、おっちょこちょいでも、受け入れられる人は存在します。
私は、どんなに気を遣っても努力しても、どこいって何やっても嫌われていくのに
どうしてトンチンカンでも受け入れられる人が存在するのか、そういう人は
ある程度やることが出来ているのだと思います。
多少のトンチンカンはしても、致命的な失言や、あまりに不可解な言動行動はしないのだと思います。もしくは何か一芸があったり、自分に合った環境を持つことが出来て、トンチンカンを差し引いてでも必要な存在だったり。
やることが出来ているから、多少のトンチンカンは愛嬌として受け入れられるのだと思う。
じゃあ過去の私のように、どこいって何やっても嫌われる人間はどうしたらいいのか。
発達障害っぽい思考から体調の回復と共に思考力を取り戻しているから、こう思うのですが
空気を読めるようになることは無理、努力でどうにか出来ることではないし、出来ないことを努力でどうにかしようとしても疲れていくだけなので、
- 極力喋らず無難にやり過ごすこと
- トラブルを起こす可能性を減らすこと
自動車を運転しなければ自分が自動車で事故を起こすことはない、
という方法しかなかったと思います。
無難に徹して、余計なことをしない、人と仲良くしようとしない、無難な相槌しか喋らない、煽ってくる人がいたら言い返さず黙る、図々しい人には「へえふんそーなんだわからない色々」をローテーションして浅い対応しかしない等。
つまらないと思うけど、思考力も体力も著しく落ちていた状態では、そうするしかなかったと思います。その当時の私には考えても妥当な答えは出てこないので。
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