ADHDらしく生きていくことにした

過去の回想と内省

ADHDっぽい私は、

自分が発達障害なのではないかということや

自分がアダルトチルドレンであることを自覚してからも

 

定型になることがいいこと、定型のマネをするのがいいこと、って

「ああであらねば、こうであらねば」っていう発想を使っていた。

 

それで定型社会に適応して、

自分なりのメリットを感じられる方は良いと思うのですが

 

私は、

定型になろうとするのをやめようっていう結論に至りました。

 

これはどうすることが妥当なのか、

私はこう思うけど定型だったらどう?

こう思うんだけどなんて言ったら失礼にならず言いたいことを伝えられるのか、

これは定型から見たら変だろうか?

何が普通なのだろう、

 

という労力に費やして疲労するよりも

その気力を、

出来ること、やりたいことに費やしたほうが

有意義なのではと思うようになりました。

 

もちろん、人間としてのマナー、人を不快にしないように

人を巻き込んだ迷惑をしないようには気をつけますが

それは私にとって、

可能な限り発言をしない、必要以上に人と関わらない、

車に乗らなきゃ私が車で事故を起こす可能性はゼロに出来る的な、

絶対に人に迷惑しない方法としては、そうするしかなく。

ダイレクトな世界では、その都度、妥当な発言や行動を

出し続けられないので。

それに労力を費やすよりは、出来ることをやったらいいんじゃない?って思った。

どうしても出来ないことをいつまでもやろうとするよりは

出来ること、やりたいことをやったらいいんじゃない?って思った。

 

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私は今まで一度たりとも

自分らしく生きようとしたことがなかったと思う。

人を巻き込んだ迷惑が発生することをしちゃいけないというのは

絶対的だと思う、それは変わらない。

だけど私は

自分の自由にしていいことすら、定型であらねばならぬみたいに

規制して生きてきたと思う。無自覚に。

 

定型のように妥当な発言行動を出せるようにと努力すればするほど

人にキツくあたる自分になってしまうような気がする。

それは、愛は本当なのに悪気なく

子供をアダルトチルドレンにしてしまったうちの両親と

やってること同じではないだろうか。

 

定型になろうとして疲れ果てて何も出来ないよりも、

出来ないことをやろうとするよりも、

自分を受け入れて、出来ることを。そう思い始めたのが最近。

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