ハメをはずした定型と発達障害は似ている

定型もハメを外すと平常心を失う 過去の回想と内省

羽目を外した定型とは、普段は全くのまともな人であっても、

土日が休みの金曜日の夜に遊びに出かけた時にハメをはずしすぎると

誰が見てもオカシイものでしかない状態になることもあるということを指します。

 

私は羽目を外さなくても何もしていなくてもハメをはずした定型と同じ状態だった。

私の場合は血糖値が下がっていて頭が回っていないので私の通常時がハメを外して我を失った人と同じような状態でした。

 

ハメを外しておかしくなった定型と

機能性低血糖により思考力や視野が著しく低下していた私との

唯一の違いは、私には記憶はあること。

ハメを外した定型は記憶すらない時があるけど、低血糖により思考力が著しく低下していた私は記憶は全てあります。

これが低血糖なのだとわからなかった頃の私は、著しく頭が回っていない、現実への対処が追いつかない、しかし知能はおかされてなくて物事はわかっているし記憶もあるという状態でした。

著しく頭が弱い私を、煽って遊んだり、ハメて悲しむ顔を楽しんだり、都合よく利用してくる人間もいました。その人たちは「こいつにはわからないだろう」と思って私に何度も何度も執拗に粘着してくるけど、角は立てたくないことと、どうしたらいいのか対処が追いつかないだけで物事はわかっているし記憶は全てあります。

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ハメを外した定型にイラっとくる気持ち

思考力が以前よりは回復している今も、無自覚に低血糖だった時も、

羽目を外した定型にイラっとくる気持ちは変わりません。

羽目を外した定型は、

羽目を外していない時だったらしないであろう言動行動を取ります。

  • 言ってはいけないことを言う
  • 角を立てる言い方をする
  • 何度説明しても伝わらない
  • 同じことを何度も言う
  • 話が通じない
  • 怒っている怒っていないでしか物事を把握出来ない等

これらを力尽きて眠りにつく時まで延々と繰り返します。

一緒に遊びに出かけてこうなったのなら、誰だってハメを外しすぎる時はあるし、その時自分も遊んでいるので許容出来るのですが、私が何かしている時にハメを外した状態の人から電話がかかってくると、やることも中断されるし、用件も内容もなく、話も通じない状態で絡んでこられるのでイライラします。

ああでもこれって、発達障害っぽい人が定型にイラつかれる原因と同じことなんじゃないのかな?って思います。それがハメを外しているわけでもない正常時に起こるので、健常者から見たら理由もわからないしイライラしますよね。

過去の私は、物事を一度に一点しか見れなかったから、動機は善意なのですが会話なく黙ったら悪いと思って一生懸命喋ろうとした結果、内容なく喋ることを繰り返して、結果的に迷惑でイライラさせていたこともあったと思います。

発達障害っぽい人がイライラされるのは、ハメを外した定型に対する苛立ちと同じような理由

ハメを外した定型にイライラする反面、発達障害っぽい人にそっくりだと思います。羽目を外した定型は、普段は定型です。でもハメを外すとまるで話が通じなくなる。

私が無自覚な低血糖だった頃、気づいたら周囲の人が怒っていたり離れていくのも、こういう感じだったんだろうなあと思います。

定型は話が通じる保証があるから許される

ハメを外した定型は、普段はまともなので、「いつまで待てば話が通じる」という保証があります。それにより一時的には迷惑であっても、たまにハメを外す程度であれば、距離を置かれたり相手にされなくなることはありません。

発達障害っぽい不器用な人間よりも、現実すらわからなくなっているハメを外した定型のほうが瞬間的な迷惑度は高い。

不器用な人間は、このジュースはいくらですとか、ここは右側通行ですとか「一度に用件1点のみ」なら理解できます。空気読んでねは通じなくても用件においては話が通じるだけまだ瞬間的迷惑度は羽目を外した定型より低い。

しかし、発達障害っぽい人間は、いつなら通じるっていう保証がないから相手にされなくなったり距離を置かれてしまいます。性格のいい悪いではなく話が通じないのなら話の通じる人のほうに行ってしまうのは仕方ないこと。

それを例えると、コンビニで二個レジがあって愛想はすごくいいけど進まないレジよりは、態度は悪いけど用件はこなしてサクサク進むレジのほうにみんな行くと思います。あー、遅いなあー、あっちのほうがいいなって。又、どちらも問題ないレジでも宅配の宛名書きをレジで書いているお客さんがいたら時間がかかることが推測出来るので他のお客さんは多少並んでいても別のレジに行きます。

用件もこなせるかつ優しい人であればみんなそっちにいくけど、人間関係とは優しいか意地悪かよりも用件をこなせるかということが第一なのです。一生懸命やってるのに酷だけど、保証のないものにいつまでも付き合うほど人は暇じゃないことは思考力が回復してから理解しました。

「生き方とは何か」のような1つの答えはない抽象的なことではなく、このカードはここに入れてくださいねという明確な用件でもハメをはずしすぎた定型には伝わりません。

無自覚な低血糖時代を経て思考力が回復した私、目に見えない障害、「出来なくてしかない状況」を身を持って体験した私でも、ハメを外した定型にイライラします。周囲の人から見たら、過去の私は常にそういう状態だったのでしょう。

有益な情報と受け取り腹を立てない

羽目を外した定型は「不器用な人間を実演して見せてくれる」という意味では勉強になります。言われるがままに傷ついていた無自覚な低血糖時代の私にはわからなかったけど、自分の都合は守りつつも穏便な対応が出来る人間は、全てを「情報」として受け取るから、イラっとこないで流すことが出来ます。非常識な人に遭遇しても、そういう人だから関わらないほうがいいんだとわかったことを有益と捉えて、暴言を吐かれようともその言葉をそのまま受け取ってはいません。

自分は羽目を外していても相手は平常心で話を聞いているのだということをちょっとは考えてみて欲しいな。低血糖時代の私は羽目を外した定型の言うことをそのまま鵜呑みにして傷ついていました。しかし羽目を外した定型は、もはや本人の意志ではなく自分の言ったことを覚えてもいないので平常心ではない相手の話を真面目に聞くのが時間と労力の無駄です。

それでも常時話が通じない不器用な人間よりは羽目を外した定型のほうが社会的には受け入れられる、そこにちょっと理不尽さを感じつつも、それが物事の真理なのだと思います。不器用な人間の中にはイイヒトをやってカバーしようとするケースもあるけど、人が求めているのは今ある用件をこなすこと、今ある用件において話が通じることです。

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