生きづらさを例えると長縄跳びに似ていると思った

長縄跳びの絵 過去の回想と内省

A地点の荷物をB地点まで運んでくださいとか、238+374はいくつか?とか、配布資料にこの文章を何枚印刷してくださいとか、単純にそれだけならわかる。プリンターが1台しかないから臨機応変にやってねって言われると作業のみではなく空気を読む必要が出てくるけど、単純に用件のみであればこなせる。

でもリアルタイムの世界では単純にこの作業だけしていればOKとはならずに、空気を読んで円滑なコミュニケーションを取りながら同時進行で作業も進める必要がある、それが過去の頭が回っていない状態の私にはキツかったな。

私の場合、血糖値が下がっていて物理的に頭が回っていなかった。だから1点のことなら出来るけど、あれもこれもってなると視野が狭く頭も回っていなくて、出来なくて仕方ない状態だった。努力不足なのだと思って出来なくても出来なくても一生懸命やっていた。

それがまた、出来ないことをいつまでもやろうとする迷惑となっていた。私が無自覚に不快発言をすることをやめないのであれば喋らないしかないでしょ。

例えば赤いペンキで壁を塗ってくださいとなっていたとして、一生懸命塗ってはいるけど、壁しか見てなくて壁以外の周囲をペンキで大量に汚しているとなる、でも私は視野が狭く壁しか見ていない。私が壁にペンキを塗るという用件を全力で一生懸命やっているのは事実、だけど客観的には散らかして、やること出来ていない人となる。

一生懸命やっていることは事実、だけど周囲からは出来ていない、迷惑という評価しか得られない。それが私の辛さだったかな。やる気なく怠慢して低い評価を得るなら妥当だと思うけど、私の中では全力で身を粉にして頑張っていて、それを否定しかされない。

一生懸命やっているのに否定的な評価しか得られないことが、どんどん疲れていく理由の一つだったと思う。私も疲れて周りにも迷惑、皮肉なことに何もしないほうがマシという…

私の時代は今以上に、今の時代でいうところの定型が出来ることは出来て当たり前で、出来ないことがありえない、「ありえない」で終わっちゃうような時代だったから、だからなおさら私も、私の努力不足でもっともっと頑張らなくてはいけないという発想にいき、間違った頑張り方をして自滅していく。

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最も必要なことは出来ないことを認めること

一人の時間で趣味として誰にも迷惑をかけずに何かを追求したい時は、うまくいかなくてもいかなくても好きなだけ追求していいけど、自分一人の場所じゃない時は、出来ない自分を認めることが必要だと思う。

気を遣っても遣っても失言してしまうのであれば、私は失言しないで会話することが無理なのだから極力喋らない等、「うまく会話できるようにする」以外の方法を考えることが必要で、そのためにはまず、うまく会話出来るようにすることは私には無理ということを認めることが必要です。

出来ないモノは出来ない、それは長縄跳びに似ている

努力や性格の問題ではなく、出来ないのが仕方ない状態であった私の生きづらさは「長縄跳び」に似ていると思う。

タイミングよく縄が回っている輪の中に入ってジャンプする、という物事は理解している。だけど出来ない人は出来ない。「ウン、タン、ウン、タン」ウンの時に走ってタンになる前に入ってジャンプ、それはわかっているけど出来ないものは出来ない。

それを当たり前のようにサクッと入ってジャンプしてこなせる人もいる。ペーパーテストなら暗記したことを書けばいいけど、実技はそうもいかない。

そして長縄跳びは誰かつまづいたら振り出しに戻る連帯責任なので出来ない人がいると嫌な顔をする人も出てきます、それも含めて不器用な人の生きづらさとは長縄跳びに似ていると思います。やる気はあっても出来ない、悪意持って怠慢をしているわけではない、それでも当たり前に出来る人たちからは「迷惑」という評価しか得られない辛さ。

長縄跳びの絵

空気を読んで動くことが当たり前とされている日常だって実技であり、出来ないものは出来ない。長縄跳びならいつもいつもやることではないし出来なかったら、その時は嫌な思いしても、やり過ごせばいいだけだけど。

日常生活となると出来ないからやめるってことが出来ない

それが生きづらかったなって思う。出来ないのが仕方ない状態であったのに怠慢や性格のせいにされる、それが辛かったな。それは体調が回復して出来なかったことが出来るようになってからそう思った。出来ない一方だった時のほうが努力不足でもっと頑張らなくてはいけないと思って身を粉にして限界まで頑張っているのに努力不足だと思っていた。

出来ないことを受け入れて別の手段を考えよう

今、どうしても出来ないことは、努力不足ではなく「出来ないものは出来ないんだ」と自分を受け入れたほうが有効な方法を考える発想に辿り着けると思う。

努力不足だと思って頑張り続けても違う方法を考える発想に辿り着けないので。

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過去の回想と内省
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