聞き分けのいい子とは

過去の回想と内省

聞き分けのいい子とは

優しい子というのとはちょっと違って

用件を素早く理解する子、という意味なのだと思う。

 

私は自尊心自己肯定の低い母親から

具体性のない「いい子」を強要された。

お友達同士で、ふざけあって

冗談だとわかっていて相手は全く傷ついていない冗談でも

ツッコミをしてはいけないような感じの。

 

なんでも譲って、嫌なこと言われても笑って

我慢して生きてきた。

空気を読めないことは自覚していたけど

善意で動いているし、人に気を遣っても遣っても

どこいってなにしても嫌われていく私。

 

みんななんで人間関係を普通にやっていけるんだろうって

いつも思っていた。私には特別なことに見えて。

一生懸命やっているのにうまくいかなくて。

 

あー、でもそういうことかって思ったのは

人に受け入れられる「聞き分けのいい子」とは

優しいとか、いい人悪い人とか、そういう意味じゃなくて

今ある現状を素早く受け入れて動ける人、

用件のやり取りがスムーズな人っていう意味なんだと思う。

例えば、お店でオレンジジュースを注文して

いつまでもオレンジジュースが出てこなかったら

誰だってちょっとはイラっとすると思うんだけど

聞き分けの悪い子、用件のやり取りが出来ない人、

日本語が通じない人とは、そういうことを言うのかなって思う。

 

例えば、お店に人参を買いに行ったとして

お店の人に、人参はないと言われたとする、

その時、ここには人参はないのだから

どうすることも出来ない、ここにいても意味がないので

「そうですか、わかりました」と、

すぐに他の店に探しにいくようなのを

スポンサーリンク

聞き分けが良い人、というのだと思う。

そこで、人参はないと言われているのに

ない以上、ここにいても意味がないのに

「えー、でもないと困るんです、どうにかなりませんか」

みたいに、どうしようもないことを粘るのを

聞き分けがない人、聞き分けの悪い人、と言うのだと思う。

 

例えば、消しゴム忘れてきた人が

消しゴム2個持ってない?って聞いて回るシーンは

学生時代に普通にあることだと思う。

そこで善意であっても、どうにかしてあげたい気持ちはあっても

自分の消しゴムしかないのなら、

自分にはどうにも出来ないので

「ごめん、持ってない」とだけ言うのが良いと思う。

善意であっても迷惑となる例。

 

当たり前のことなんだけど、

無自覚に頭が回ってないかつ機能不全家庭育ちの私には

こういう点が欠けていたと思う。

コメント

タイトルとURLをコピーしました