わからないものはわからないのだ

過去の回想と内省

悪意なく素でわからなくて

ふさわしくない言動をとったり用件をこなせない人もいれば

悪意持って

用件をこなさない人もいます。

でも今、私は両者を含めて

わからないものはわからないのだから仕方ないのだ、と思います。

需要に合わないなら離れるだけ。

 

やることをこなさない人に遭遇すると

私に不利益や損害が発生することもあります。

そういう時、見抜けなかった自分が悪いのだと

諦めるしかないと今は思います。

裁判出来るお金がある人は訴訟するのも良いでしょう。

でも私はそのような裕福層じゃないし

気も強くないし行動力もないので

訴訟などしなくて良いように自分の身は自分で守るしかありません。

私の、賢さにおける頭の弱い原因は

頑張っても頑張っても気を遣っても気を遣っても

どこいってなにやっても嫌われてうまくいかない原因は

低血糖でした。

その低血糖というのも、甘いモノの食べ過ぎでなるタイプではなく

食事の際の、茶碗7分目程度のお米を毎食たべただけで起きるので

原因に気づけなかった。

たまたま具合を悪くして、炭水化物を一切摂らない日があって

今まで感じたことのないくらいに具合が良くて

そこで、私は普通の食事程度の量でも

炭水化物が合わない体質なのだと気づきました。

それに気づいて以来、毎日毎日しんどかった

強い疲労感が消えて、頭が回るようになりました。

 

頭の回らない日々と、強い疲労感の中生きてきた期間は

子供の頃からずっと。

10年とか20年とかそういう単位です。

だから私は、

現時点までの人生の大半を頭の弱い人として生きてきたので

できない人、わからない人の気持ちもわかりました。

私の中では、善意で良かれと思って最善を尽くしていました。

でも人はムッとした顔をしていました。

ムッとした相手が1人2人ならたまたまだと思いますが

どこいって何やっても、うまくいきませんでした。

賢さにおける頭の弱い人のみの体験だと、

頭の弱い人を、仕方ないよねって理解する力に

欠けるように思った。

頭が回るようになってから、そこではじめて

過去の頭が回らなかった時を回想して

私は一生懸命やっていたけどうまくいかなくて

できないものはできない、わからないものはわからない人

というものがいるんだ、ということを理解しました。

かつて自分がそうだったように。

 

用件をこなさないのは困ります。

1000円の商品に1000円払ったのに

商品が来なくて、お金も戻ってこないとなると

困りますよね。

ですから、用件をこなさないこと自体を

許すわけではありません。

私にも私の生活や人生がありますから

大人の世界で用件をこなさない人に遭遇すると困ります。

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でもそういう時、怒りを抱くというよりは

この人、わからないんだ。と諦めます。

上の例えでいうところの商品が来ないという点においては

本人が対応しないのであれば、他の店員、

他の店員も対応しないのであれば申し訳ないけど本社に請求します。

用件をこなさないこと自体を許すわけではありません。

でも、そういった信用ない人間に目くじらを立てるのではなく、

あ、わからないんだ。と解釈する発想を今は持っています。

 

わからないものはわからない、できないものはできないのです。

 

悪意持ってイカサマをする人間であっても同じことだと思います。

普通の人間は、後で自分が困るからイカサマをしません。

それに、人としてインチキはしたくない。

でもそれをわからない人もいます。

わからない人はわからないのでしょう。

 

用件をこなさない人に対して、

用件をこなさなかったこと自体を許すわけではないけど

そういった人に対しては

ただ、わからないんだ。と思うようになりました。

 

このやろー、悪意持って何しやがって、ではなく

この人は、わからないんだ。と思うようになりました。

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