過度な謙遜は人を不快にするだけ

過去の回想と内省

そんなでもないよーってサラッと一言程度だったら

普通だと思うけど

自分はこんなにこんなにこんなに駄目でって

力説しはじめるのとか、

内容がないし

悪気はなくても

 

そんなことないよって言ってほしいの?的に

構ってちゃんに映って、人を不快にするだけだと思う。

 

私の場合、

そんなことないよって言ってほしい気持ちも

あったとは思うけど、それよりも

「何か喋らなきゃいけない」という、

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明るくて面白い自分であらねばならない

という

素の自分でいられないという、

そっちの理由で

同じことを何度もリピートしてしまっていた理由が

原因を占めていたかなと思う。

 

親に否定しかされなかった。

子供は無自覚に、親の願いを叶えようとするところが

あると思う。

 

会話に積極的に喋って入っていくような、よそ子を褒めて

別に言葉が遅れているわけでもない、ただ積極的ではないだけの

自分の子を否定するから

どんどん喋って明るい子でなくてはならないと、

私も必死に演じるようになる。

よその子を褒めて自分の子を貶すセットになってるのが

より一層よろしくないポイント。

 

ADHDっぽい私は多弁なのも事実だけど

積極的に入っていくような性格ではないし

根っからの真面目で用件はこなす、やることはやってるので。

性格が特別積極的ではないことで、

それで何か迷惑かけました?って親に対して思う。

 

私の生きづらさの1つとして

構って欲しくてやってるわけじゃないのに

そのように映って嫌われていくことかなって思う。

それだったら構ってほしくて構って欲しい行動言動をして

嫌われていくほうがまだマシだと思う。

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