私自身のことを言っています。
人に向けて言っているのではないので、ご了承ください。
空気が読めない私、なんかおかしい私。
父親はもっと重度だと思う、
心の中の声を留めておけず一日中一人で
まるで会話しているかのように喋っていたり
同じことを何回も言ったり、突然突進してきたり
言ってはいけないことをベラベラと喋る。
収入は安定していて、経済面で生活に不自由はなかった。
IQはまともで怒ることもなくニコニコといい人なんだけど
迷惑行為を繰り返し、
「自分は空気を読めないのだから喋らない」というセーブも出来ない。
(空気が読めないのなら)何も喋らなきゃいいのでは、という助言を
何人かにされても、その意味がわからず
じゃあ何も喋れないじゃないか!!という発想しかない。
相手が悲しい顔をしていても人を不快にする発言、迷惑行為をやめる気がない。
努力できない、努力しない、努力する気がない、
私は父親のことをそう思っていた。
そして父親のことを発達障害に似ているなあと思っていた。
母親は自尊心自己肯定は低いけど立ち回りはまともで
母親の気質を強く引き継いだ兄も立ち回りはまともだった。
私は父親の気質を強く引き継いでいるので
私も不器用で賢さにおける頭が弱くて、
父親に対して、同族嫌悪によって嫌っているところもあったと思う。
でも、事実、迷惑で嫌っていたのもあります。
自分ではギャグのつもりで面白いと思って迷惑行為を繰り返す父親に、
子供の私まで巻き添えをくらいます。
でも、私はトップページの自己紹介にも書いたように
元は父親(よりは軽度であったけど)と同じように
一生懸命やってるのに、いつだって善意で行動しているのに
どこいってなにやってもうまくいかない人生を送ってきた中、
偶然、頭が回らない原因の1つに気づき、
空気の読めなさ、賢さにおける頭があまりにも弱いことが
改善しているので、
今は、過去の自分にも父親に対しても
努力の問題じゃないんだなって思っています。
趣味など自分の時間に費やしたほうが
自分にとっても良いし、
迷惑を起こす可能性を減らせると思っています。
空気を読む力、妥当な対処をする力がないので
その頭で考えても無駄だった、と過去の自分に対して思います。
結果を抜きにして、どのくらい努力したかだけでいうと
身を粉にするレベルだったと思います。
でも、過去の、無自覚に頭が回っていない私の頭では
考えても考えても、無理なものは無理だった、と
頭が回るようになった今、思います。
うまくいかなくてもいかなくても必死に頑張りました。
だから私も、
父親に対して「努力する気がない!」と怒りを抱いていました。
自分が、報われない努力を
努力すること自体が正しい、という発想にいってしまい
身を粉にして続けてしまっているので。
発達障害っぽい人に対して、努力する気がない!と言ってしまうのは
うまくいってもない努力をし続けている自分自身の自己紹介だと思います。
ある程度頑張って駄目だったなら諦める、もしくは
うまくいく方法をわかって事実うまく出来ている人は
「努力する気もない」という発言自体出てこないように思います。
自分の目標のために努力します、そして
ある程度頑張ってみて、うまくいかない又は
労力に見合わないほど薄利であれば
向いてない、合わない、と悟り
今やっていることはやめて、他のことをします。
「ある程度やって出来ないなら諦める」、それも
大事なストッパーです。
ちょっと前の記事にも書いたけど、そのストッパーがない一例が
連絡返ってこなくてもしがみついて何年でも粘着するストーカーです。
相手が何かしたならわかんなくもないけど、
特に相手が何かしたわけではなく、ただ自分に興味がないことに
怒りを抱き粘着し続けるストーカー。
努力すること自体がいいこと悪いことではなく、
人は自分にとって何か利益があるから
自分のために努力をします。
努力をしない人がいたとしても、
それはその人の利益不利益であり
人のことは人のこと、自分と他者の区別、自他の境界線の話だと思います。
しょっちゅう人を怒らせているのに
人とうまくやろうとする気がない人というのは
なんらかの理由により、そのままの自分で困っていないのでしょう。
それなら、それで良いのではないですか。
自分が欲しいモノ(友達など)があるから努力しようとする、
努力しない人は別に友達を欲しいと思っていない。
それはそれで、人の自由だと思います。
家族が親が変、それは子供にとって「合わないなら関わらない」
ということが出来ないので、迷惑は迷惑です。
でもその一方、私も頭が回らない人生を送ってきた後に
ある日突然頭が回るようになったので
わからないのだから仕方ない、という立場もわかります。
むしろ人とうまくやろう、入っていこうとするほうが
迷惑を起こすリスクが上がっていくと思います。
頭が回っていない頭で考えているので。
頭が回っていなかった過去の私を
頭が回っている今の私が振り返っても
出来ることは、人とうまくやろうとすることじゃなくて
- 用件以外極力喋らないこと
- 人と仲良くしようとしないこと
- 自然に仲良くなった人とだけ仲良くすること
だと思います。
コミュニケーション能力のない私にとっては
お友達のように仲良くするという意味ではなく
無難に流す、という意味だと思います。
コメント