教師は赤の他人だから。

過去の回想と内省

いい先生も、合わない先生もいると思う。

色んな人がいて、人間だから。

教師であるからって、みんなイイヒトなわけでもないし

イイヒトもいるし。

 

私の育った家庭は、

私も賢さ的な頭が弱いけど親も、両親とも頭が弱いと思う。

空気を読む力とか、人間関係、立ち回りにおいての器用不器用の話。

 

何してくれとか実際に頼んだわけではないけど

うちの母親は、子供のクラスの担任が、

学校の教師が、あくまで学校では先生なだけで

人間関係における距離としては

赤の他人であることをわかっていなかったように思う。

 

要介護レベルに、障害を抱えているなら

サポートは必要だと思う。

でも今はそういう話じゃなくて。

 

私のように、発達障害かどうかはグレー、

普通学級に振り分けられる、

クラスメートを叩いたりすることはない、

並ばないとか授業中に立って歩くとかはない、

病気かどうかってなったら微妙なところ。グレー。

 

問題点は行動言動しぐさの全てが嫌われていくことくらいで、

学校生活において、嫌われているとかの感情論を抜きにした用件において、

何かが致命的に出来ないわけではない。

 

  • 家庭の問題
  • 私の親自身の不安

こういったものまで、学校の先生はどうにかしてくれるものでもなく

こういったものを学校の先生に相談するものではないと思う。

 

前提があるなら、例えば学校の先生と日頃から親しくしているとかなら

相談するのもアリだと思うけど。うちはそういうのもないし。

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家の問題まで学校の先生に頼るものではない

と、私は思う。

それに、そのような信頼関係がない人に

家のことや子供のことを相談するのも

リスクがある。あくまで赤の他人だから。

例えば、仲良くもない同級生に、

重い内容の相談を言ったところで相手も困るし、

みんなに言いふらされる危険性もある。

それと同じことで、お互い疲れるだけ。

 

仲良くもない人を~様様と褒めたたえて

仲良くもない人に精神的に寄りかかろうとする、

そういう面があったのが私の母親。

 

私の母親に、客観性と距離の把握があったら

相手がどんな身分や立場であろうとも

赤の他人であることに変わりはないのだという、

鵜呑みにしないで人を見る目があったら

私も、もうちょっと楽だったと思う。

 

自分と、自分の親だけに言っている話で

他者に言っている話ではありません、その点はご了承を。

教師に、学校での用件以外の悩みを、子供の問題や家庭の問題までを

頼ってはいけないと私は思う。頼る相手としてふさわしくないと思う。

精神科医でもカウンセラーでもないのだから、

あくまで勉強を教える等、学校での用件をこなす存在なのだから。

 

それを例えると、うどん屋さんに行ってステーキの焼き方を

教えてくれと言う場違いのようなものじゃないかな、って。

極端に言えば、ただそこで買い物をしたことがあるだけという

コンビニの店員さんに突然人生相談をするとか。

 

そこを学校の先生とうちの子ってなると

私も私の親も、頭が弱いこともあって

関係が見えづらくなっちゃう、

用件や距離を把握しづらくなっちゃうのかもしれない。

学校という場所では教師と生徒、その親という関係でも
それは人間関係で言えば、赤の他人に等しいと思う。
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