正確には、
嘘つきやがってコノヤローという寂しさではなく
何度でも騙されてしまう、鵜呑みにしてしまう
自分の頭の弱さが寂しい。
生きるために直接食べ物を得る
狩猟民族時代なら嘘を全く使わなくても
生きていけたのかもしれない、
嘘が存在しなかったであろうとは言わないけど
もしも嘘が全くつけない人がいたとしても
もしも嘘を全く見抜けない人がいても
どうにかなったのかもしれない。
同じ種類の人間たちといる限りは。
でも、現代は
嘘も人類の進化であり文化です。
嘘といっても必ずしも、悪意のあるものではない。
角を立てないためにつく嘘もあるし
善意で、言ってはいけないことを黙るための嘘もある。
もちろん悪意あっての嘘も存在します。
現代に生きている限り、仕方ないモノ。
嘘だろと決めつけるのは良くないし、
嘘だろと詰問するのも、
もしも相手が嘘をついていたとしても
はい嘘ですと聞かれるがままに言うなら最初から嘘はつかないし。
だけど、疑うこと自体が良くないこと!みたいな発想も
いつまででも騙されて何度でも騙されて、自分が疲れるだけ。
嘘かもしれない、でも今の時点ではわからない、
とりあえず黙る、もし嘘であった際困らない距離を取っておく、
そのくらいがいいのかなって思う。
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