子供の頃、理解出来なかったことがあって、それは
学校の行事や遠足みたいな好きな人同士お弁当を食べるシーンで
たまたま仲良い子と一緒にご飯を食べることが出来なかった時や
仲良い子が休んで一緒にいる人がいない時に
定型は独りぼっちになりそうな危機に面すると
嫌いな子に話しかけてでも一人でいることを回避しようとするところ。
小学校の時に、クラスにものすごく仲が悪い子がいて
その子をFさんとして、
Fさんからも私を嫌っているし
こっちからもFさんを嫌っていたんだけど(笑
学校行事の時に、突然Fさんが私に
一緒にご飯食べようって話しかけてきて
その時は、ああそう、くらいに思っていたけど
後になって考えると
変な話だよなあって思う。
学生時代の定型は一人でいることを何としてでも避けたいので、誰でもいいから誰かと居ようとする
ごくごく普通の子たちは、お昼ごはんなど、
誰かとは一緒にいるべきシーンで
一人になりそうになると
嫌いな子でもなんでもいいから
誰かと一緒にいようとする。
一人を回避しようとする人には何人か遭遇した
Fさん以外でも、仲良い子が休むと
仲良くもないのに私のところにくる子っていうのは
学生時代は何人かいた。
仲良い子が今日たまたまその場にいないからっていうのは
当時もわかっていたけど
その時は、ただ、ああそうってしか思っていなかった。
頭が回っていない中、生きていたから。
よくよく考えると、代わりの子に対して失礼だよね
今思うと
いつも仲良くしてる子がいないから
一時しのぎに私のところに来るとかって
失礼な話だよね(笑
私も、断るって選択肢はあるんだから
別に相手だけが悪いとは思っていないけど。
断るよりは、一緒には過ごすけど流す対応のみにする
もしも今、その状況になっても
断りはしないと思う。
角を立てずに断るって、難易度が高いから
今日一緒にいることを了承して、一緒には居るけど、
最低限しか喋らないみたいな感じかな。
学生時代の一人で居ちゃいけない空気は定型社会特有のもの
大人になると仕事だから
一人飯も一人でレストランも何とも思わないけど
学生時代の暗黙のルールって
なんで一人で居ちゃいけない空気なんだろうね。
関わる相手を自由に選べる時間に、嫌いな子といるくらいなら、
一人で本読んでた方がいいじゃん、って
私は思うんだけどね。
なんで常に誰かとつるんでいなきゃいけないんだろうね。
便所飯をする人は、その発想の時点で定型(立ち回りがまともで空気を読める人)なのでは。
便所飯とかって言葉があるけど、
便所飯をしようと思う時点で定型なんじゃないのかな?って思う。
私だったら、たとえ一人でいるのが惨めな状況であったとしても
机とかテーブルとか、普通に皆さんがいる前で、ぼっち飯をすると思う。
公園のベンチとか屋上とか、人がいないとこまで回避して
一人で食べるとかはありえるけど、トイレで食べるっていうのはしないと思う。
そこまでして外観とかプライドを守らなくてもいいと思ってる。
元々、誰ともうまくいかない孤独な人生なので、そのへんは免疫があります。
コメント