SNS、ブログ、掲示板、インターネットではどこにいっても必ず
最初っから煽り目的でしかない人の書き込みが存在します。
インターネットとは情報交換を目的とした世界だと思うのですが
煽り目的の人たちは情報交換をする気なんてハナっからなくて
相手が言った内容に関係なく、最初っから相手を否定する気しかないのです。
人との意見交換、情報交換、交流など、純粋にインターネットを利用している一般人から見たら、なんでそんな意味のないことするの?っていう思うかもしれないけど
煽り目的の人たちには大きく分けて二つの理由があるのです。それは
- 現実に心の拠り所が何もなく、自分の立場を汚さずに匿名のインターネットで憂さ晴らしをしたい
- インターネットで煽ったり、話をそらすことで何らかの利益がある
この2つです。
この2つ以外に理由はないと思います。
この2つの中でタイプを細かくわけると色んなタイプがいると思うけど、大きく分けるとこの2つしかありません。
ネットで煽る人間の心理とは、言語の乏しさと、壮大な孤独と寂しさ
現実でもそうだけど、心が満たされている人は意地悪をしないから。
ネットで執拗に煽るような人間は、強い言葉を使うことを強さだと勘違いしているけど、通常はスルーすれば済む関係の相手にはなるべく角を立てず黙って離れたいものです。不必要にキツイ言葉を使うこともまた、どの程度のレベルの人間なのかという自己紹介となってしまいます。
煽り目的の人はたくさんいて同一人物ではないのに、みんなまるで同じ人かのように、同じ言葉しか使わないのですよね。
バカとか、お前の頭がナントカとか、ただ意見が合わないだけの相手に病院にいけとか。
中身がなくて、汚く下品な単語を繰り返すだけの、情報として意味がない人間。
そういった人たちが、なぜ中身のない内容しか喋れないのかというと、それがその人の現実の中身なのでしょう、現実の行動範囲や見る世界が著しく狭いため、言いたいことを文章にする表現力もなく、バカアホマヌケ的なワンパターンの単語しか言えないのです。
一度や二度、キツイ言い方をしてしまったくらいならわかりますが、
ネットで煽り目的の人間たちは何度も何度も執拗に、そして半年一年数年と何年もいつまででも同じ場所にいるのです。
最近は自作自演や、専門家を名乗って書いていたのに素人のライターが書いていたなど、大きなニュースにもなっていますから、ネットで執拗に煽り続ける人たちがどういった経緯でそのようなことをしているのか、特にネットに詳しいわけでもない一般人にも察しがつきます。
日々を生きている一般人は当然、学習能力があるのでネット耐性も身につけます。
インターネットの歴史が浅く、整備が不十分なことも自作自演や情報操作がまかり通ってしまっていた原因
インターネットとは2000年を過ぎた頃あたりから、誰でも当たり前にネットが出来る環境になっていったもので、よくよく考えるとまだまだ歴史が浅いのですよね。
それにより、2010年くらいまでは自作自演や、煽ることで利益になる存在、憂さ晴らしにネットの人を煽るということが通用してしまっていたのかもしれません。
2008年くらいには既に自演自演と騒がれていたけど、情報操作をする側もあの手この手で新たな手段を考えて、つい最近までは自作自演がまかり通ってしまっていた時代だと思う。
インターネットの自作自演や情報操作問題がニュースになったことで一般人にも耐性がついていく
全く事実無根の内容で芸能人を中傷してニュースになった事件や、専門家と名乗っているのに実際は素人ライターが書いていたことが発覚してニュースになった事件とか、その他色々、ニュースでそういった人たちの存在が知れ渡った影響は大きかったと思う。
それ以前は「流れがおかしくて、何らかの存在が情報操作をしようとしていたのはわかる、そこまではわかるけど、それがどういった経緯でここに至るのかわからない」という未知の存在でした。何か変なのはわかるけど確証がない…
そんな中、大々的にニュースになってしまうと種明しというか、ああそういうことなんだってわかると一般人たちにも耐性がついていく。
今や煽り目的の人たちは、迷惑メールが相手にされないのと同じような状況
今、インターネットで煽り目的の人が現れても、それは迷惑メールをタイトルだけ見て、ごみ箱に入れるのと同じように、相手にされない時代になった。
以前だったら、煽り目的の人に対して怒りの感情を示す人もいて、それがまた煽り目的の人たちにとって思うツボだった。普通は相手に怒りや悲しみの感情を示されたらこちらも悲しいと思ってやめるのですが、寂しい人間たちにとっては怒りの感情ですら構ってもらえたことに喜びを感じて、人を怒らせて悲しませてそれを楽しいと思う低い人たちだから。
それが今では、なんの感情も持たれないほど相手にされない時代になりつつあるのです。
幸せな人間は人が悲しむ顔を楽しいとは思わないし、寂しい人間が人の悲しい顔に楽しみを覚える
幸せに生きている人間は、人が悲しむ顔を楽しいとは思いません。
ご自身が寂しい悲しい人生を送っている人間が、人の悲しむ顔を楽しいと感じるのです。
幸せだからって人の幸せを望んでいるわけでもありません、もちろん不幸を望んでいるわけでもなく、自分に関係ある世界にしか興味がないといったところだと思います。自分のことちゃんとやらないと幸せにはなれないし自分のことやっていたら赤の他人のことまでどうこう考えている暇はないから。
もしも、とても気の毒な状況の人がいたら、器が大きくて自分のことをやりつつも赤の他人であっても恵まれない人に手を貸せる大きな存在が慈悲の心を使えばいいのであって
そこまでの力がない人はまず自分のことをやって自分自身と自分の大切な人を守らないと。
そういった意味も含めて、ちゃんと生きている人間にとって
ネットの煽り目的の存在たちに対して、無感情、無関心なのです。
相手にしても何も意味ある情報を得ないから、興味がない。
ネットで煽りをする人間は、ネットで構ってもらえなくなったら、もう何も残っていない、精神的に飢餓な人たちなのです。
特にインターネット事情に詳しいわけではなくても誰しもがそういったスルーという対処方法が出来る時代になってきていると思います。
多くの人は、やっていて楽しいこと、次なる目標、大切な人を持って生きています、今日会ったら明日も会える、明日も明日も会える、いつでも会える、毎日は会えないけど会おうと思えばいつでも会える、そういった存在がいます。
でもインターネットを煽り目的に利用する人たちには何もないのです。
ネットの人に噛みついて構ってもらえなくなったら終わり、という不安定な毎日を繰り返しているのです。
そんな寂しい世界は普通の人からは想像できないでしょう、あの人たちもかわいそうな人たちなのです。
大切な人がいたらネットで知らない人を煽る理由もないでしょう。
何が目的でネットで煽ることを繰り返すのであっても、ネットで煽る人たちが寂しい人間であることは共通している
何らかの利益を理由にネットで煽る人もいれば、物理的な利益は何もなくただ寂しくて煽る人もいるのでしょうけど、いずれにしても、それ相応の環境しか持っていない人なのではないでしょうか。現実が充実していたらたとえそれで利益が得られるのだとしても、人を傷つけて利益を得るような低いことはしたくないので。
円満家庭と収入がある人がわざわざ詐欺に手を染めないのと同じことです。
人と関わることだけが全てではなく、
何か好きなことや意味ある目標があるのなら一人で生きるのもアリだと思いますが
自分が何かされたわけでもない無関係の人間にネットで執拗に噛みつくことを繰り返す人たちは、それだけの時間を浪費出来るのですから、好きなことも中身ある目標も持っていないのでしょう。
そういった人たちに構うのも時間の無駄だと思います。
人は意味ある情報と物事が進むことを求める生き物ですから、
いつまでも同じ場所で意味のないことを繰り返す人と関わっても何も得ない、時間と労力の無駄です。
煽り目的の人たちにとっても、構うことは回復を妨げてしまうから一切の無反応でスルーしよう
煽り目的の人たちもそれで人生うまくまわるなら、迷惑がネットで留まっていることもあり、一般人は相手にしなければいいだけなので否定はしないけど、
いつかはやめなくてはならない日が来ます。
その方法でいつまでもは生活していけないでしょう。
ですから煽り目的に構うこともまた、そういった人たちの回復を妨げていることになります、誰も構わなくなったらやがて辞めるでしょう?
一切の無反応を示すことがこちらの時間も無駄にせず、相手の回復にもつながって、お互いに良いのです。
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