嫌なことばかりの人生だったし、今特に何か嫌なことがあったわけでもなく、普段と比べて特別具合が悪いわけでもなく、特に理由なく突然過去の嫌な記憶がワーッと沸き続けることがよくある。忘れていたのに、なんで?って思うし、意識してやっていることではないのでどうにも止められない。
今何か起きたわけではないのに辛い。
頭が回っていなくて、元の頭は正常なんだけど、体調不良ゆえに、とても頭が正常に生まれた人には見えないくらい意味不明な人だった、しかし知能はまともなので健常者として普通の世界を生きてきたから、どうしても適応出来なくてね。
他者からの過去の私への評価は酷評だと思う。頭のオカシイ人、関わりたくない相手、信用のない人、そういう終わっている評価しかないと思う。
思考力が回復したゆえにフラッシュバックと共に、その時必要だった答えも見える
フラッシュバックが起きると、頭が回復している今は答えも見えるから、この時相手はこう思ったんだろうなあっていうことを繰り返して
私の居場所はもうどこにもないような四方八方塞がりの孤独を感じる。
悪意はなく、人を攻撃する気もなく、動機は善意なのですが、過去の私は意味不明な言動行動を繰り返していた。
今何か起きたわけでもないのに、よく「過去の回想による孤独」を感じる。
相手の記憶に私はいない
客観的には「思い出しているのは私の記憶だけで、相手の記憶に私はいない」ことはわかっている。日々新しい出来事を生きている中で、過去の仲良くもない相手のことを覚えていないでしょ。言われればそういう人いたかもくらいには思い出すかもしれないけど、まず思い出すことはないでしょう。
私も顔も名前も覚えていないような人がたくさんいる。
私の回想の中では「うわあ~、やってしまったね…」という痛い記憶ばかりだけど、回想に出てくる登場人物側からは私に対して覚えてもいない、思い出すこともない存在。
どうでもいい記憶に押しつぶされて現在を阻害してくるのが辛い。
でもこういうふうに思うことにした。
フラッシュバックは文章自動作成機、いくらでもネタを勝手に製造してくれる支援ツール
内容の出来は置いといて、事実、ブログを書くネタに困ることはない。
辛いフラッシュバックすら記事を書くことに利用させていただいて情報になってくれればそれでいいと思っている。
いつか、フラッシュバックに悩まされることがない日が来たらもっと良いけどね。
フラッシュバックに悩まされるということは、まだ自分のことを完全には許してあげていない自分がいるのだと思います。
以前はただただ自分を責める一方だったのですが、当時は病院ですら診断の出ない体の病気だったのだから仕方なかった、そうわかった時から「仕方なかった」と自分を認めるようになってきました。
ハンデはあったけど自分で決めて動くことは出来た、という葛藤
記憶は全てあって自分の意志で動くことは出来たから、あの時ああできたらこうできたら良かったのに、という自分を責める気持ちは、どうしても完全には消えないかな。
例えば、39度の熱の中、普通の人と同じことをこなしなさいと言われたとして、出来なくはないし、自分が横にならない限り、諦めない限りは続けることが出来る。この出来なくはないけど出来なくて仕方ない事情でもある、というところが辛いところかな。
具合が悪くてフラフラでも自分の意志で決めることは出来る、そう考えると。
ハンデがあったのは事実だけど、どうして出来なかったのかな?と過去の自分に対して責めてしまう気持ちはあります。
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