私は具合が悪いんだから、やること出来てなくても仕方ないだろ迷惑かけても仕方ないだろ等と言いたいわけではなくて。
外の世界では、一生懸命やっているにも関わらず低い評価、批判的な評価を得られないことは仕方ないと思う、出来て当たり前の前提で進む世界だから。私一人を特別扱いするわけにはいかないし、その義理もない。
せめて家族、両親は私が具合が悪いことに気づいてくれたら良かったのになって思う。
体調だけでも充分に辛いです、起き上がるのも鉛のように重く、常に強い疲労感を抱えている、膨満感と腰痛がキツい。普通の人は理解出来ないだろうけど、立っているだけで辛い。
風邪をひいたとかではなく、これが通常でした。
こんなに辛くても、病院で検査しても健康という診断しか出ません。
たんぱく質、ビタミン、ミネラルなど栄養をしっかり摂ること、植物性乳酸菌(納豆、漬物、味噌など)を摂って腸の健康を心がけること、こういった機能性低血糖対策、副腎疲労対策、リーキーガット症候群(腸漏れ症候群)対策は、私のような一般的な健康診断では何も異常が出ないのに明らかに具合が悪い人にはやってみる価値はあると思う。
慢性的な疲労を感じる体に、たんぱく質が必要な理由
タンパク質自体が必要なこともあるけどそれだけじゃなくてタンパク質を多く含む食べ物にはビタミンB群も豊富に含まれていることが多いため。突然、あれもこれもと言われても果たしてどれが本当に有効なのかもわからないし、そんなにそんな毎日パーフェクトな食事なんて出来ない。でもたんぱく質を積極的に摂る、くらいの1つなら容易く取り入れることが出来る。
こうして私は子供時代からずっと続いていてそれが当たり前だった強い疲労感が、かなり軽減されて、普通の人が今私の体になったら若干だるいかもしれないけど、強い疲労感が当たり前だった私にとっては多少は体調不良が残っていても夢のように良い体調なのです。そのくらい、具合が悪い人生を送ってきた。
今だって、膨満感がキツくて、疲労感が辛い日もあるけど。
今は「私は具合が悪いのだとわかっている」ことが大きい
私はこんなに具合が悪くても、幼少期からだったから具合が悪いのが当たり前で、これが体調不良なのだと気づかなかったし、
だるくてだるくて辛い中、なんとか毎日普通の人と同じことこなして頑張ってる私に、母親は性格の問題や怠慢とみなして馬鹿にして煽るだけだった。どこか具合が悪いのでは?と気づいてくれる発想は一切なかった。疲れているところを更に否定されるだけだった。
具合も悪くて、頭も回っていなくて、そんな中なんとか普通の人と同じことをこなして身を粉にするレベルに頑張っているのに、やることなすこと毎日毎日批判的な評価しか得られない。誰だってこうなったら心折れるでしょ。私はそれでも折れないでどうにか普通の人と同じことこなして生きてきたんだよ、立っているのも辛いレベルの疲労感の中やっているからクオリティはそれなりだけどね…
80点以上良い、60点以上普通、40点以上可でいうところの私はやることなすこと可というレベルだったと思う。通行許可は出すけどクオリティは駄目だねって感じの。
毎日フル出力で、まるで今日が終わりかのように生きていた
普通の人が100あるところを20くらいは余裕残して80出して頑張っているところを「よくやっている、頑張っている」と言うのであれば、私は10しかないのに120出していたと思う。それを例えると(食料や睡眠は取っているいるとして)徒歩で歩くとして立ち止まらない限りは何kmでも歩けてどこまでも行けるよね、普通はどっかでもう疲れた限界って自分でストップをかけるから終わりがあるけど、私の場合、歩くのをやめないからどこまででも歩いてしまう感じ。
私は幼少期の時点でもう限界だった、でも世間体を気にして鬼のように怒って休ませてくれない親のためにどこまででも歩き続けました。
まともな親だったら、どっか体がおかしいのではって気づいて休ませてくれたんじゃないかな…って思う、このへんは常識や教養の話だよね。
こんなに身を粉にして頑張り度だけで言えば人の何倍も頑張っているのに、性格が悪くてやる気がなくて信用がなくて駄目な子っていう評価しか得られないのですよ。そういう理不尽な人生でした。全力で限界まで出してどうにか普通の人と同じことをこなせてる状態なので、人生は明日もあさってもずっとあるのに、まるで今日が終わりかのように生きてきた。常に全力で常にギリギリ。
健康な人には私の気持ちはわからない
健康な人には「逃げ」ではなく「限界なのだ」っていうことがわからないんだよね、それが診断があれば病気だから仕方ないよねってなるけど、診断がないと「は?」ってしか思われない。嫌な顔されて、えっ…て顔されるだけ。
外の世界は皆で一つのことをやり遂げることが主流の世界だから、外の人からの評価が低いのは仕方ないことだけど
家族くらいは、一生懸命やってこれなんだっていうことを理解してくれれば、たとえ具合は悪いままでも、もっと楽だったのになあと思う。
私は具合が悪いのだと自覚出来たら色んな対策が出来た
もっと早く気づけたら「私はこういう理由で出来ないんだ」って出来たから、私も他者もお互い嫌な思いをしないで済んだと思う。「出来ないのなら来てはいけない」場所には行かない、病気であっても出来ないのは私の都合に過ぎないから。でも私は具合が悪いのだとわかっていたら「出来ないのなら来てはいけない」場所に行かないことはできるし、必須用件ではないことを「こういう理由で出来ないんだ」と断ることも出来る。
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