声のデカい奴はスルーして優しい人と仲良くすればいい

口元の絵 過去の回想と内省

声がデカいっていうのは喋る声が大きいとかって意味ではなくて、気が強い人とか図々しい人とか「権力の強い人」みたいな意味。同じ身分でも権力の強い人、弱い人っていうのはどこにでも出来上がる。

口元の絵

この世の中で最も寂しいことは権力の強い人に気にいられようとして、家族親友恋人のような近い人にアたるようになったり、本来仲良く出来たであろう色が似ている人に冷たい対応をしたり馬鹿にしたりして自尊心を保とうとすることです。

強い者に媚びて、言いやすい人や自分より弱い者にキツくアたる、これは生きていて最も寂しいことだと思う。

弱くても良い、負けっぱなしでもいい、出来ればスルーを身に着けよう、スルーはコツをつかめば誰でも出来る。気が強い人の言いなりになって負けっぱなしのこと以上に近い人を攻撃することはみっともないことです。

ずるい奴、嫌な奴、ずる賢い奴、図々しい奴、性格は悪いけど行動力はある人、そういう人は、どこにでもいます。そしてそういう人から嫌な思いをすることも、よくある話です。

しかし精神的暴力で嫌な思いをしたからって、自分がそれをやれば強くなれるわけではありません。

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本当の強さとは面倒くさいものはスルーして自分や自分の大切な人を守ること

自分の身も守れないようでは大切な人を守ることも出来ません。勝てるなら戦うのもありだけど、仮に勝てたとしても後々面倒くさくなるのでは勝ちとは言えない、勝ち負けの勝ちとはいかに自分にいいように動くか。厄介なものにはスルーが一番強い、自分の立場も悪くしないし労力も最小で済むから。

機能不全家族だった私の家庭も、仲良くもない強い者の顔色うかがって、そのストレスで近い人を攻撃するような両親でした。

失敗を機に人を馬鹿にして自尊心を保つようになった元同級生

小学校の時は温厚でいい奴だったのに高校生になってから人を馬鹿にするようになった人がいた。その人がそうなったきっかけは高校受験の失敗だと思う。その人をFとします。

Fは、本来なら平均くらいの偏差値の高校には行けたはずでしたが、受験の時にたまたま調子が悪かったのか県で最底辺の高校に行った。うちの県は滑り止めを確保しないで本命に落ちた場合、二次募集は、かなりレベルの低い高校しかない。別にFは貧乏ではなかったんだけど、受かると思って滑り止めを受けなかった。Fは滑り止めを受けておけば本命は残念な結果だったとしても普通のレベルの高校に行けたと思います。

私は別にFと仲良いわけではない、高校も違うし本来会うことはないんだけど、私が高校生の時、たまたま道端でFと遭遇した。Fはびっくりなくらいフレンドリーに話しかけてきたけど元々お調子者だったからその時はあまり気にしなかった。

小学校卒業以来ぶりに喋ってみると、地味な子見つけては馬鹿にしてクラスの中心的グループに媚びを売るような人に変わっていた。しかしFがつるんでいる人たちも地味な人たちでF本人はダサい。

その時は私も子供だったし、ただただFにイライラした。

でも今思うとFもアダルトチルドレンだったんじゃないかなって思う。

人を馬鹿にしても自分のレベルが上がるわけではなく、むしろ自らのレベルを下げている

本人は自分が上に上がった、自分がカッコイイと思って、地味な人見つけて馬鹿にしているけど、人を馬鹿にすることが最もみっともないと思う。自分はイケてるならまだ説得力はあるけど自分もダサダサなのに。本当に上のランクの人っていうのは自分と系統が違う人たちのことをちょっとはネタにすることはあっても、マジマジと語ることはない。興味があることも楽しいと思うことも違って別の世界の人間であり興味がないから。

学校でも会社でもどこにいっても、社会的身分は同じなのに権力の強い人は存在します。

そういう人は積極性や行動力、気の強さ、気持ち的なものに捉われないで用件に集中できる、スキルが高い、育った教養が高い等なにか理由があるのだと思います。

消極的な私から見たら、いいなあと思うこともあれば、図々しいなあって思う時もあります。

一緒にいて楽しい人といることが最大の利

自分と同じくらいの人といるほうが話も合うし好きなことも共有できるから一番良い、話が合わない人たちの中に無理に入っていってもお互い何もいいことがない。

もし無理して合わない場所に入ろうとする人がいるとしたらその人が欲しいモノは有意義な時間ではなく、「権力ある人と一緒にいる自分」という見栄、見栄とは自分になんの実にもならない虚しいものです。

人を馬鹿にしたって自分が成長するわけではないし。

権力の強い人に対しては無難に流す程度にして、自分の場所や時間を大切に出来ることが強さです。

強い者に媚び売って近い人や弱い者を攻撃するようになった人間は本当は、ご自身が弱くて脆くて低い人間なのです。強さとはいかに自分に良いように動けるか、自分のために生きることが出来ているかを言います。

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