定型と比べて発達障害っぽい人のハンディキャップを例えると自転車と徒歩

定型と発達障害のハンディキャップを例えると自転車と徒歩 過去の回想と内省

普通に立ち回れている人を定型と呼び

著しく不器用な人を発達障害っぽい人と呼ぶとして

定型と発達障害っぽい人を例えると

定型が自転車で、発達障害っぽい人が徒歩だと思います。

 

徒歩と飛行機くらいレベルの差があったら

速さを比べても意味がない程、圧倒的に違うので

誰も徒歩=著しく不器用な人を責めないと思うのです。

徒歩で飛行機と同じレベルの速度を出すことが不可能であることは明白で

徒歩が飛行機と同じ速度を出せないことを責めるほうが恥ずかしいと思います。

 

徒歩では自転車に追いつけないけど

自転車で行ける距離の目的地まで徒歩で行くことは出来ます。

差は確かにあるけど出来なくはない、

そういうポジションにあるのが著しく不器用な人間です。

出来なくはないけど明らかにハンディキャップがあるという辛さ

だから定型と同じことが出来ないと

責められて嫌な顔をされて性格の悪い人、怠慢、甘え、やる気のない人とみなされます。

 

至難ではあるけど身を粉にして全力でやればギリギリ出来てしまう、

そういうところがまた辛いところでもあると思います。

 

出来ないことが仕方ないと認めてもらえないギリギリの位置に

立っているのです。

 

健常者枠にいるのに明らかに不利な面があるという状態。

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客観的には辛さが伝わらない苦しみ

サラサラに乾いた道路を歩く定型と

どろどろの泥沼に一歩一歩足を取られながら歩いている発達障害っぽい人

という違いだと思います。

そしてその泥沼は、そこを歩く本人にとっては

強力に一歩一歩を取られてしまう苦行であるのに

客観的視点ではサラサラに乾いた何も障害物のない道路を歩いているように見えるところもまた、著しく不器用な人間の辛いところであります。

泥沼を歩くこと以上に、客観的には辛さを全く理解されず

サラサラの道路を歩いている人の視点で批判的な評価を浴びることが辛い。

 

出来なくはないけど明らかに不利。

 

手ぶらで歩く定型と、

30kgの荷物を背負って歩く発達障害っぽい人、30kgの荷物を背負って歩いているのに客観的には手ぶらで歩いているようにしか見えない状態。

 

このように

出来なくはないけど明らかに不利という状況が

余計辛い人生を作っている。

もしも客観的にどのくらい辛いかを証明出来たらどんなに楽なことか

出来なくて仕方ないということが客観的に認められたら

もっと楽なのではないだろうかと思います。

 

健常者と同じことをこなさなくてはならないけど

明らかに不利なことがある、でも

出来なくても仕方ない人とはみなされない。

 

不器用なのをいいことに暇つぶしや憂さ晴らしに

私に粘着してくる黒い人間も

私が明らかに、出来なくても仕方ない人の枠にいる人間であったなら

ああいった類の人たちは自分の立場を悪くしないように空気は読めるので

嫌がらせをしてこないと思います。

 

ギリギリ健常者という状態が

人々の怒りをかったり、嫌がらせの対象になると思うのです。

やる気なく映る人の実際はかなりの体力と精神力を使っていた

立っているのも辛いくらい常に強い疲労感を抱えているのに

当時の情報では原因がわからずに、

耐え難い苦痛の中、気合いでなんとか

普通の人としての人生を送ることが出来てしまう体力と精神力を持っていたこともまた

辛い人生を歩んだ原因の一つだと思っています。

常に疲労感が強く、早く帰りたかった

過去の私に必要だったものは、もっともっと頑張ることではなくて

ギブアップ、リタイア、ご静養でした。

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