無茶苦茶な時代だった

過去の回想と内省

機能性低血糖という言葉は

最近はよく耳にするようになったけど

それでもまだ充分に知識が流通した時代ではないと思います。

ですから、もしも私が今の時代に

機能性低血糖という体質で生まれたとしても

今の人生と同じことかもしれません。

それでもまだ今の時代だったら

機能性低血糖なのかも?と子供のうちから気づける可能性はあります。

私が生きた子供時代は機能性低血糖かも?と気づける可能性自体が

低いモノであったと思います。

 

具合が悪いから強い疲労感を感じて頭が回っていないのに

その全てを「本人の性格の問題、怠慢、やる気がない」と称してしまうのは

無茶苦茶な時代であったと思います。

なんでも力任せに、気合でなんとかなると思っているような時代。

知識がない時代ゆえに、

全てを本人の性格のせいにしてしまうのもあったのでしょう。

知識がないから的外れなことを原因に持ってくる時代でした。

体に原因があるのに性格や気合いの問題にしていても

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いつまで経っても問題は解決しないでしょう?

そういう点を無茶苦茶な時代であったと思います。

 

何度も書いているけど

機能性低血糖自体には気づけなくても

せめて親が、自分の子供が具合が悪いということに

気づいてくれたら良かったのになあと思います。

自尊心や自己肯定を持った親であれば

どこか具合が悪いのかなあと気づける可能性はあったと思います。

 

体調不良の原因がわからずに具合が悪いままだとしても

否定の言葉をかけず、1人の人間として肯定してくれたら

それだけで、随分違ったのではないかと思うのです。

心を壊さないだけでも違ってきたと思うのです。

どうやっても無理な体調の中、毎日毎日否定の言葉をかけられて

不器用なのをいいことに私に関係ないことまで

全てのストレスを私にぶつけられて

こんな環境で、まともな心を保てるはずがないでしょう。

 

50年100年遅く生まれてきたら良かったのになあ

たまに思います。

そのくらい未来だったら、この病気も

すぐにわかって、すぐに解決出来たのかもしれない。

 

もしも、空の上の世界があるのだとしたら

私は生まれる時代を間違って生まれてきてしまったのかな

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