理由がわかると、ただ、そういう人なんだと思えることも。

過去の回想と内省

父親は家にいる時に一日中

まるで誰かと会話しているかのような独り言を喋っている

あっ、痛っ とか 暑い寒い~とか

瞬間的な誰でも出るような独り言じゃなくて

まるで誰かと喋ってるかのような独り言を一人で延々と。

子供時代、明日大事な試験とかでも

ものすごく大きな声で独り言を喋っていて

気が散ってイライラしたし、

それ以外にも色々あって

独り言の件だけじゃないけど父親に対して私はイライラしていた。

 

独り言は外ではしない。家の中だけ。

だからなおさら、やめれるんならなんでやめないの!?って

思ってた。

 

インターネットで

独り言 うるさい とか

会話してるかのような独り言 とか

調べてみた。

 

私が見た一握りの情報でそれが全てのケースではないと思うけど

 

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自分の中で 1人何役とかやって会話しているらしい。

 

それが私の父親に当てはまるのか、それが父親が独り言を喋る理由なのか

正しい間違い、それはわかんないけど

そういうこともあるっていうことを知って

 

ただ、そうなんだ。って思った

 

記憶を持ってして、これは独り言だとわかった上で

一人何役もやって会話してる感じなのかもしれない。

ある意味、孤独にすごく強そうな機能とすら思った 笑

 

私は、私の心の中の声を、声に出さずに留めることが出来るけど

私も常に脳内に何かが流れている。

誰かと誰かの仮想会話だったり、音だったり、文字だったり、

現実であったことのワンシーンだったり。

だから、自分で「これは自分の中での想像なんだ」と、わかってるうえの

何役も作って会話するのは、わかんなくもない。

 

それを声に出さずに留める程度の人と、

声に出してしまう人と、

脳内にあれこれムービーが流れること自体がない人、との違いだと思う。

 

私は母親が消極的で人間関係が不器用で嫌われたくない最優先なのも、

父親がスーパートンチンカンなのも、それ自体は別に良い。

それら自体は、そういう性格の人なんだっていうことで別に良いと思う。

 

ただ、私を否定したり煽ったりしないで受け入れてくれれば

両親の性格や性質に対して、ただ、そういう人なんだって思えたと思う。

 

否定の言葉をかけていることは無自覚であっても、

執拗に否定されたら誰だって嫌だろという客観性はないのだろうか。

私も受け入れてもらえなかったから、

私も両親を否定して怒りを抱いていた時期もあった。

 

でも、両親は悪気はないのと、子供を愛そうとする気持ちは本当であったことと

本来仲間であるはずの人間を攻撃して、仲良くもない人たちに取り繕うような生き方は

それは「負け」(自分にとって良くないという意味)なんだと気づいたから。

両親を否定するのは、もうやめようとしつつある今。

内省のためにこれからも書くけど、今は親への怒りは消化されつつある。

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