利益のない惨めな思いはしなくていい

過去の回想と内省

生きる上で、何一つ嫌なことがないなんて

無理な話です。

 

でも発達障害っぽい中、生きてきた私にとって

嫌なことも我慢して、惨めな思いにも耐え抜いて

絶対にやりたくないことをやり遂げたとしても

何も利益を得ていないことがよくありました。

なんで一生懸命やっている私がうまくいかなくて

なんでサボったり手抜きしてる人たちが

受け入れられるんだろうって思っていた時もある。

 

過去の私はきっと

  • 理にかなっていない
  • こうであらねばならぬを持ってきて目標を持っていない
  • 目標に対して、やっていることが無意味

そういうところがあったと思います。

 

自分では良かれと思って一生懸命やっているんだけど

用件にピントが合っていない、

やることができていない人だったと思います。

 

特に嫌な思いをしても惨めな思いをしても

必要であればやらなければならないことも

存在するとは思いますが

 

何の利益にもならない、

嫌なこと、やりたくないこと、惨めな思いはやめちゃいなよ

って今は思います、自分に対して。

 

一生懸命やること自体が正しいわけではない、

自分の欲しいモノのために(お金に限らず、スキルなども含めて)

自分のやることやる、そのために生きている人生だと思います。

 

目標のない人、というのも

用件にピントが合っていないことにより

物事をわかっていなくて迷惑を起こしたりするのです。

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例えば、ものすごくお腹をすかせた人がコンビニに入ってきて、

お金はないけど何か恵んでくれと店員に頼んできたとします。

店員としては他のお客様のこともある手前、

無料で何かを提供するわけにはいきません。

そこを目標なく生きていると、

「かわいそう…」と思って無料で提供して

問題を起こしてしまうこともやりかねない。

これは例えであり実際にあったわけではありませんが。

 

自分の人生を生きる、自分のために生きる発想がないと

話のわからない人、話の通じない人に成り下がってしまうので

「自分のことをやる」、他者のことは他者が自分でやること、

という発想が必要だと思います。

 

もちろん自力で立てないレベルに具合の悪い方に遭遇したなど

緊急事態であれば、「人のことは人のこと」が適用されない時もあるけど

そういう機会はめったになく、自他の線引きがないゆえの迷惑が起きる時、

たいていは困ってもいない人のことをやろうとして迷惑を起こすので

自分のことをやる、人のことは人のこと、という線引きが必要だと思います。

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