討論や情報交換も、もちろん意味があることなのですが
まだ確かなことが解明されていないことや
1つの答えはないもの、精神論的なものは
書くのも見るのも「置き手紙式」がやりやすい。
言いっぱなしで、そこに意見はしない。
見たいものだけを見て、自分に合わないなら見ない。
ネットの世界ではそれが出来ます。
関わる相手を完全に自由に選べるネットの世界では
誰と関わるかは自分で決めること、自己責任だと思います。
内容がどうこうよりも
なんとなく好きなページ、
内容は妥当でも
なんとなく好まないページというものが存在します。
用件でもない誰と関わるか自由な世界で
自分の好きなモノを選べます。
好まないモノは見ない、関わらないことが出来ます。
お互いに、書き逃げ、読み逃げスタイルが
私にとってはやりやすい。
あくまで主語は自分で。
指導者気取りやアドバイスはしたくないし
見る側としても、そういった内容は苦手。
それらを否定するわけではなく私は苦手というだけです。
自分に向けた自分のことだけをただただ書き綴っていたい。
その時いいと思っても、その後やっぱ駄目だったなって思うことは
日々あって完成形を手に入れることはないと思っているので
私は人にアドバイスは出来ないし、したいとも思いません。
ただ自分の今思ったことを自分の内省という意味で書きたいだけ。
たまに自分に言われたわけでもない人の日記に
相手の領域にまで入って、文句を言い噛みつく人もいます。
- 自分に言われたと思った
- 自他の境界線がない
そういった人は「自分は人が所持するスペースに入って発言をしている」
という客観性はなく、自分の主張をしてきます。
「自分に言われたと思った」パターンは、
全く交流もなく、こちらからは知らない相手が突然噛みついてくることもあります。
知らない人の悪口を書きようもないのですが
距離や自他の境界線がないと判断して何も言い返しません、
わざわざそういった人と関係を繋ぐ必要もないと思っています。
自分のアカウントやブログであっても
人として書いてはいけないことは存在しますが
個人を特定するような書き方はしないし、表現には気をつけています。
少なくとも
自分のフレンド登録した方に向けて悪口を書くことはありません、
本人に伝わる場所で悪口を言うのは自分が疲れるだけ、
くらいの常識は私にもあります。
個人の指導者気どりと
人の領域に入ってまで1つの答えはない人の自由にケチつける人、
自他の境界線がない人間が
私にとって「興味がない人間」です。
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