よく履歴書とか、学校の就職指導の時とかに
って言葉を聞いたけど
私はその意味がわからなかった。
そう言われても
丁寧に書いたところで
読みづらいバランスの悪い斜めっている
殴り書きのような字しか書けないから。
わざとじゃなく、真面目に書いても
そういう字しか書けないから。
それは性格が悪いとか、オカシイとかじゃなくて
友達も普通にいて、近い人は大事にしていて
そういう性格の人、性格の範囲内の人。
そういうストレートに言ってしまう人からは
うわっ字マジ汚いね、子供かよ!?みたいに言われていた。
私は内心イラっときていた、
字が汚いのは事実なんだけど
そういう性格の人は自尊心自己肯定が低い時の私には
非常に相性が悪く、
字のことだけじゃなく
会う度に揚げ足取りをしてくるので内心イラっとしていた。
一言で言えば、しつこい。
字が汚いのは本当だけど、真面目に書いてもこれで
努力でどうにか出来る事じゃなかったから。
それは頭が回るようになった今、「仕方なかったよね」と思う。
頭が回っていなかった過去のほうがむしろ、
努力不足で努力でどうにかしなくてはいけないと思っていた。
今も字も絵もヘタクソだけど
字が下手なのは全く変わらないんだけど
頭が回るようになってからは
私の字が変わった気がする。
まっすぐ、だいたい同じ大きさでかけるようになった。
字が下手なのも
頭が回っていないゆえの空間認識能力の欠如によるものだったのかな
って、ちょっと思った。実際どうなのかはわからないけど。
今は下手でも丁寧に、の意味はわかる。
なげやりに殴り書きのように書かないで
1字1字丁寧に書きなさい、という意味だと思う。
空間認識能力、バランス感覚があること前提に
下手でも綺麗に書けば丁寧に書いたことは伝わる、
という意味だと思う。
世の中の常識とは頭が回っていること前提の常識なのだ。
頭が回っていない人の事情を考慮したものではない。
確かに、殴り書きのようなモノを渡されたら
職業にもよるけど
その時点で選ぶ気がなくなってしまうよね、って
もし自分がそれをされたらって考えると、そう思う。
でも真面目に書いて殴り書きのようなものしか書けなかったので
仕方なかった、とも思う。
CAN’TとDON’Tは違う、出来ないとやらないでは違うっていう
言葉があるけど、私の場合はCan’tだった。
出来ないことを自覚すること、
頑張っても頑張っても出来ないことは、出来ない自分を受け入れることもまた
出来ない中で他の方法や対策を立てる発想を持つために
必要なことだと思う。
コメント