微妙に違う背景によって答えは変わる

過去の回想と内省

インターネット上には

個人が自由に書いた色んな考え方があります。

他者の色んな考えを見ることが出来ます。

 

それに対して、

私は違うと思うなあ、と心の中では思ったとしても

状況や背景が私とは違うので

私は私の状況や背景での想像しか出来ませんし

他者に対して「間違っている」と言ってしまうこと自体が

オカシイと思っています。

 

その人の人生で、その人の場所で

自分の考えを語っているのですから

第三者から見て「間違っている」ものなどないと思います。

たとえ良くない方法をやっているのだとしても

その人の人生でやっていることなのです。

 

人を巻き込んだ迷惑をせず、

法に触れない限りは何を書いても自由だと思います。

 

他者が自分の場所に書いているモノを

たまに討論に留めることが出来ず

「間違っている!」と噛みつく人もいます。

でもそれはまず、他者のスペースに入って

モノを言ってしまっています。

その時点で人としての信用や発言の説得力に欠けると思います。

 

数学では1+1=1ですが

化学では1+1=1や0もありえるように

この場面だったらこう、こっちの場面だったらこう、というように

現実世界では微妙な違いによって無数に答えが変わってきて

1つの答えや方程式を全ての場面に使うことは出来ない。

自分の家の鍵では、よそのおうちの家の鍵は開かないことと同じ。

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結論までの背景が一人一人違うので

全ての人に合う答えはありません。

 

結論だけ見て背景も知らずに

他者が自分自身の場所でやっていることに

第三者がどうこう言って噛みつく時点で

ズレているように思います。

 

意見を言う、意見を交換する、討論は良いと思いますが

意見の交換に留めることが出来ず、

否定や文句、暴言、噛みついてしかモノを言えないのであれば

何も言わない方が良いと思います。

 

自分の親の悪口を匿名で書いている人に対して

親の悪口を言うのは良くない!と噛みつく人は

良い両親の元育って毒親を知らない人、の可能性よりも

今も毒されている、

まだ自覚していないアダルトチルドレンの可能性のほうが高いと思います。

 

1人の人間として肯定されて育ったのなら

合わないと思ったら見なきゃ済むようなネットのこと、

人のことは人のこと、ということがわかります、

客観性や自他の境界線があると思います。

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