明るく振る舞ってしまう、精神的に参っている時ほど多弁

過去の回想と内省

多くの人は、疲れている時のほうが

いつもより無口になったり

沈んでいたりするのかもしれないけど

私はその逆。

ピンチの時、傷ついている時、疲れている時、

肉体的にも精神的にも参っていれば参っているほど

多弁になります。

  • 何か拠り所が欲しくてたくさん喋ってしまう
  • 弱っている自分は見せたくない
  • 負けちゃいけないと思って頑張ろうとする

動機は、そんなところだと思います。

疲れている時ほど笑っている

どんなに疲れていても

どんなに嫌なことでも

どんなにボロボロでも

笑ってなんとか切り抜けるのは

私の持ち前の明るさや強さだと思います。

どうして変な明るさを見せるのか理由があって

動機としてはおかしくはないと思います。

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多弁や変な明るさは人を不快にする

ストッパーなく変な頑張りを見せてしまう私は

疲れている時ほど

怒涛の勢いでたくさん喋ったり、変な明るさを見せて、

意味不明で異様な光景が周囲を不快にしていました。

 

場にふさわしくない言動行動が

人を不快にしてしまうのですね。

 

冷静になって考えれば

自分でも、過去の私の言っていることやっていることには

疑問を感じます。

体調も悪く思考力もフラフラで

余裕がなくて、余裕がないゆえに

変な頑張りを見せていたと思います。

お互いに疲れるだけだから喋らないほうがいい

  • 周囲の人が嫌がっているから
  • 角を立てると自分が疲れるから自分のために

この2つの理由で

どんなに疲れていても、多弁や明るく振る舞うことは

やらないほうがいい、やっちゃいけないのだと思います。

 

本当に明るく振る舞い切れるならいいけど

私が本当は疲れていること、

無理して笑っていることを周囲の人もわかっていたと思います。

不器用な私が演じたところで、たかが知れているのです。

誰かに話を聞いて欲しい

子供の頃から親すら味方じゃなくて

親は世間体最重視でよその人の味方。

そんな私も近い人を大事にしないで生きてきた。

思考力が著しく低下しているから

客観性や距離の把握が欠如していて

誰かに聞いて欲しい、何かにすがりたいっていう気持ちから

なんでも喋っちゃう信用のない人とみなされて

余計、孤独になっていくという悪循環でした。

人の秘密は喋っちゃいけないものっていうセーブがあって

喋らないんだけど、人のことじゃなくても

自分のことであっても、自滅するだけで他者には被害はないとしても

関係にふさわしくない内容を喋ってしまうと信用をなくしてしまいます。

発達障害っぽいところ、アダルトチルドレン、それらが私に

意味不明な言動行動を巻き起こしていたと思います。

 

今思えば私がいた場所は決して寂しい環境ではなかった、

寂しい環境を作っていたのは私自身だったと思います。

 

今は、近い人以外には極力喋らなくなった。

空気を読みながら楽しくお話し出来る人は良いけど

私の場合、いつ角を立てるかわからないリスクが常にあるので

喋らないしかありません。

ネットなら言いっぱなし聞きっぱなしが出来る

今はネットがあるから

自分のブログに思ったことを書けばいいし

ブログだったら見たい人だけ見て

見たくない人は見なきゃいいだけのことだから。

 

一人で自分のページに書いてる分には

自由に思ったことを書いていいと思います。

 

ネットは言いっぱなし聞きっぱなしが出来る世界です。

書くだけ・見るだけという形は吐き出しに最適だと思います。

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