勘違いはある意味かわいそうな人

過去の回想と内省

ここでいう勘違いとは

○○って思ってたけど実際は□□だったー、みたいな

単純な間違いの話ではなくて(それは誰でもあるし普通)、

そういうレベルじゃないのに

自分は素晴らしい人間だ

と思っているような意味での勘違いを指します。

 

誰だって、出来ないと思っていたことや全く出来なかったことを

ちょっと勉強や練習して出来るようになったら

僕、私、すごい!って思うし

それが趣味や用件への

やる気、やりがい、原動力になったりもするので

人を巻き込まず、一人でやる趣味として

1人でやる時間として勘違いをする分には

悪いことではないと思います、そしてそれは勘違いとは言わないと思います。

 

しかし、

用件や人と関わる場所で勘違いを起こすと

それは、非常に迷惑になります。

例えるとそれは、1000円の価値だと謳った商品が

とても1000円の価値はないようなもの、

お金払ったのに商品が来ないことに等しく、

それだけならまだしも、お金を払って更に

被害をくらうこともあります。

 

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そういった人はなぜ勘違いを起こすのか

嘘をついているつもりはなく

本当に自分のことを素晴らしい、完成形と思っているのです。

悪意持って人を騙す詐欺も厄介ですが

騙しているつもりはない、本当に勘違いもまた厄介。

なぜならたとえ指摘されても受け入れない、理解できないからです。

本当に勘違いをしているので。

 

一人でやる趣味においては、どんなに勘違いをしても

迷惑にはならないので、今回の話では「勘違い」としません。

人を巻き込んで迷惑をかける勘違いという意味での迷惑を

「勘違い」と指します。

 

勘違いはある意味、かわいそうな人なのです。

 

1人でやる趣味としては

基本なく最初から完全オリジナルでも全く問題ありません。

それにより何かが生まれる可能性もありますし、

誰も巻き込まず一人でやる分には「勘違い」ではないのです。

 

基礎がないと、やり方もわからないので、

基礎なくオリジナルをしようとして

そのまま世に出てきてしまうと、

やり方がわからないのですから出来る術もないのです。

出来る術もない時点で、自分を完成形と思っているので

成長もしませんし、誰かが言ってくれても

否定や言いがかりとしか受け取れず改善も出来ないのです。

 

なぜ、そのようになってしまったのか。

子供時代から大人になるまでの成長過程において

そうならざるをえない原因があるのだと思います。

嘘を本当だと自分で思い込むしか、生きてこれなかったような。

 

みんなには当たり前にある必要なものを持っていなくて

それを隠し続けて生きるしかなかった環境

 

全否定され続けて自分で自分に、僕は私は素晴らしい人間だと

思い込むしか自分を守る術がなかった自己防衛

 

本当に心から楽しくて打ち込める何かに出会っていない

 

そういった原因が、育った環境のどこかにあるのだと思います。

 

例えば、素人の趣味で絵を描いているとします。

それは素人の趣味として交流すれば

興味を持った人や似た趣味の人が仲良くしてくれる可能性があります。

家で1人で描いている素人の趣味でしかないところを

「アーティスト」と名乗ってしまうと

それだけで、関わると危険な類に見えて人が近づきません。

共有・交換の機会を自ら失ってしまいます。

基礎とは、やりたいことを叶えるための方法。

自分のやりたいことを叶える方法であり、

それをやろうとせず、

最初からオリジナルをやりたがって基礎を受け入れない

最初から自分完成形と思って何も吸収しない

という発想にいくのは自ら、叶える方法を遮断しているとも言えます。

本に例えると

得たい知識について書いてある本が100ページあったとして

1ページ目と、100ページ目だけ読んで

2~99ページは読んでいないところを

僕は私はこの本をマスターしましたと称して

世に出ても、そういった交流グループに入っていっても

マスターした人前提の場所に入っていっても、

 

自分も出来ないし

マスターしてない人がマスターしたレベル前提の場所に

入ってこられた側も迷惑だし

 

お互いに疲れるだけですよね。

お互い、ただの時間の無駄、労力の無駄だと思うのです。

出来ないのであれば、出来ない人前提の場所に行けばよいだけのことで。

自分のレベル相応の場所に行けば良いだけのことなのです。

出来ないこと自体が悪いわけではありません。

何か本当に好きで、試行錯誤した経験があれば

本当に好きな趣味を何か持っていれば

やりたいことを叶えるために必要な過程を経験しているから

最初から勘違い、ということが起きないような気がします。

勘違いを起こしてしまう人は

自分が趣味だと思っていることすら自分への言い聞かせで

本当に好きなことではないんじゃないのかなって思います。

こういうことが好きならカッコイイかなっていう動機で

その趣味を自分の趣味と称しているとか。

勘違いは、せっかく得られる知識や経験を得ないということですから

自分にとって不利益で、かわいそうな人だと思います。

 

そして「勘違い」からの迷惑をよける、という点においても

自分自身が、趣味や用件等一つの物事において

叶えるために基礎を学んで「やり方」を使って

発展していくという経験を持つと

詐欺に騙される、騙したつもりない勘違いから迷惑を受ける、

そういった被害をくらうことも回避できる術を、

人を見る目を、養えると思います。

 

悪意持った詐欺も、騙す気はない勘違いも共通している点は

ないものをあるように見せるために生きてきただけあって

良さそうに聞こえるように見せる言葉だけは、

口だけはうまいケースもあるのですが

よく見てみると中身が抜けているのです。

~~が叶います→じゃあ、どうやって?という点が抜けていたり、

そんなに素晴らしいなら実績で人が寄ってくるはずなのに

インターネットで必死にアピールしていたり。

 

本当にレベルある人は必要な場面以外では、あまり喋らない。

今まで積み重ねてきた内容を、今、一言で説明出来ないので。

今すぐ、わかるように説明出来る量ではない。

だからこそ全くの初心者相手に

ベラベラと知識をひけらかしたりもしないと思います。

 

くれぐれも一人でやる趣味に関しては

全く基礎を得なくても、迷惑をしていないので

勘違いではなく、ただの趣味、人の自由です。

今回の「勘違い」とは人を巻き込んだ迷惑の話です。

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