親や子が発達障害かどうかよりも
自分なりの幸せを見つけることが出来ないまま大人になった親が
普通であらねば、みんなと仲良くしなくては、
嫌われたくない、好かれたい、と
一生懸命、普通の人になろうとする結果、
我慢して我慢して我慢して気を遣って遣って、疲れて、
近い人にキツくあたるようになってしまうことが
機能不全家族という環境を作り、
子供をアダルトチルドレンにしてしまう原因の一つとなるように感じます。
私の親のコンプレックスとは人間関係をうまくやっていけないことのように感じたけど、人間関係の件に限らず、受験、就職、挫折した夢など、自身が未消化のことを子供に強要する幼稚な親というものが存在するのだと思います。希望通りの道に進めなかったこと自体はきっかけ・引き金にすぎず、何か根底に寂しさを抱えているのだと思います。
友達を、努力して作るという発想が間違い
定型は、ものすごい努力をして友達を作っているわけではない。
そもそも友達とは努力して作るものではない。
趣味などの共通点があって、特に迷惑ではなければ
一緒にいるようになっていく。
親友恋人ではないただの友達だったら、その程度だと思います。
ただ普通にしているだけで似た者同士の輪、群れが出来ていく。
毒親や幼稚な親の、
頑張って努力して友達を作る、という発想自体が
間違っていると思う。
人とうまくやっていけないのなら、他のことを頑張ればいい
人とどうしてもうまくいかないレベルにコミュニケーションが苦手な人は、
コミュニケーションという1カテゴリにおいて苦手なのであって
他のことも何も出来ないわけではないのだから
身を粉にして全てを犠牲にしてまで
人とうまくやっていかなくてもいいんじゃないのかな。
用件のやりとりと、迷惑をしないこと、この2点さえ出来ていれば充分です。
人を不快にしてしまうなら極力喋らないなど工夫で対処します。
人間関係を円滑にこなしたり・人間関係を立ち回ることが出来ない、
だったら、そういう自分を受け入れて
人間関係は無難に流す程度にして
自分のやりたいことに時間や労力を使うほうが有意義です。
どうしても出来ないことを、いつまでもやろうとし続けても
何も得ないし、デメリットしか生まないと思います。
自分にメリットない努力を続けると、やがて近い人にキツく当たるようになる
「自分が間違っているから、自分が低いから
周りのみなさんのように、うまく立ち回れるようにならなければならない」
という発想が、
外で我慢して我慢してストレス溜めまくって
子供にも自分と同じ努力をすることを強要したり
子供にキツくあたるようになってしまいます。
悪気があってもなくても、子供を大切にすることが出来ていない幼稚な親は
物事を全体像で把握する力が弱いのだと思います。
黙る、どっちつかずの相槌、スルー、受け流しを知らずに
一言一言に気を遣って遣って疲れたり
嫌われたくないばかりで用件を見れてない、近い人を大事にしていないから
周囲に距離を置かれていくのに、見当外れにイイヒトやって好かれようします。
話が伝わらない人、話の分からない人という感じですね。
結果を出していない人ほど、他者に自分と同じ努力をするように強要する
やっても利益がない、労力に見合った結果を出すことが出来ていないなど
自分のためにならない努力をしている人間ほど
自分が正しいと思い込み、自分のしている努力を他者もすることが正しくて
連帯責任でもない個人の自由な事柄なのに
自分のしている努力をしない人を見ては、
間違っている・努力をしていない人と捉えて怒りを抱きます。
自分にメリットがあるように動ける人ほど
お互いに良いように動いたり、
自分のためという動機で良いと思ったことをやって結果を出しているので
連帯責任でもない事柄で、同じことを人にもやるように強要したりしないのですよね。
私が良いと思ったことを他人の人生で叶えたとしても、
それは私の人生ではないですから。
私は私の人生を生きているのです。
他人の人生を生きることは出来ません。
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