定型が同じことを言うと嫌な顔をする理由

撮影に使うclapperboardの絵 過去の回想と内省

過去、私が同じことを何度も言う理由は何か喋らなきゃ、人と仲良くしなきゃという動機でした。沈黙になってしまったら悪い、楽しく盛り上げなければという善意でした。

だからといって人を不快にする迷惑が許されるわけでもなければ受け入れて欲しいと思っているわけでもなくて、喋ることがないなら喋らない、円滑なコミュニケーションが至難なのであれば自分にも出来る方法=極力喋らないで対処するしかないと思っています。

撮影に使うclapperboardの絵

100円のものが欲しいのに99円しかないのであれば、99円以下のものにするもしくは何も買わないしかないのと同じことだと思います。

出来ないんだから仕方ないだろ!?ではなくて、出来ないのなら他の方法で人に迷惑をかけないようにするしかないありません。それは相手に悪いからではなく角を立てて疲れるのは自分なので自分のために。

定型とはして「それもう聞いた」「なんで同じこと何度も言うの?」と、意味がわからないという感想でしかないのだと思います。

定型だってハメを外して同じことを何度も言うようになる場面があります、その時、普段悪気はないけど同じことを何度も言ってしまうような不器用な人間側から見ても同じことを何度も言うことに異様さを感じ、何度言っても伝わらなくてイライラします。

ハメを外した定型「これってどうやるの」私「これをこうしてああしてこうやると出来るよ→2度目:ハメを外した定型「これってどうやるの」私(えっ…今言ったそばじゃん)「これをこうしてああして、こうだよ」→3度目:ハメを外した定型「これってどうやるの」私(イライラ…もういいや、今言っても無理みたいだから。)、と不器用な私も、同じことを何度も言われたらイライラする定型と同じことを感じる頭はあるのです。

不器用な人間も、同じことを何度も言うことは良くないということはわかっているのです。わからなくてやっているわけではなくて、喋ることがなかったり沈黙になったりして、良くないとはわかりつつやってしまいます。

定型は新しい情報を求めます。誰でも知っている情報や一度聞いた情報は不要です。不要な情報を繰り返されると迷惑で不快でイライラします、人によってはあからさまにムッとして怒りをあらわにする人もいれば、ああそうなんだと無難に流して表面上は穏やかに対応する人もいますが、いずれにしても同じ発言を何度も繰り返されると迷惑なことに変わりはありません。

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喋ることがないなら喋らなきゃいいのです。

返事に困るものは「色々。」「そういう経験がないからわからない。」とYESでもNOでもないどっちつかずの返事をしたり、とりあえず黙って違う話題になったらそっちの話はする無視ではないスルーを使うなど、濁す流すを使えば良いのです。

そうなると喋ることがない…、どうしたらいいの?となってしまうかもしれませんが、喋って仲良くなれるわけではなく、元々ある程度似た色の人同士もしくは自分にはないモノを持っていて惹かれた者同士が一緒になるもので、会話だけで仲良くなれるわけではないので

人間関係は無難に流す程度に留めて、目標や趣味に投資したほうが良いと思います。何も色がないと繋がりようがないので。

同じ発言を繰り返すことはニュースに例えるとわかりやすい

テレビでは毎日のようにニュースが流れます。「どういうことなの?」「どうなったの?」と多くの人の興味をひくニュースもあります。

注目されているニュースの時に何も進展がなくてもテレビもビジネスですから今までのまとめを放送します。全くの再放送ではなくて、コメントをする人を変えたり、同じ内容でも順番やデザインを変えたりして、同じ内容のまま放送して次の進展まで繋ぐことはよくあります。

その時視聴者は「なんだ新しい情報はないのか」と思います、そして今は何も新しい情報は出ていないんだなとしばらく興味を失います、今見ても何も新しい情報はないから。

1つのチャンネルで何も進展ない今までのまとめを放送されたら他のチャンネルでもその話題には興味が無くなります。皆さんが注目するニュースであれば進展があったら誰の目にも入るくらい大々的に放送するでしょう。それまでは頻繁にチェックする必要もないや…と興味を失います。

現実で同じことを何度も言う不快感とは、これと同じことです。

何か新しい情報があるのなら聞きたいけど、もう既に出ている情報は意味がないからいらないよ、同じこと何度も言わないでくれないかな?っていう不快感だと思います。

トークが得意な人に任せて聞き役に徹する

テレビはまだ見てない人がいるかもしれないしビジネスという意味があるからいいけど日常会話で同じことを何度も言っても自分にも他人にも誰にもメリットがなく意味がないので、喋ることがないのなら何も喋らない方が良いです、誰かが発言したらへえそうなんだーと話を聞く姿勢を示す、聞き手にまわれば充分じゃないのかな。

話題提起はそういうのが得意な人に任せておけば良いのです、たくさんの人と浅く広く関わってたくさんの情報を持っている人もいれば、テレビニュース雑誌情報大好きな人もいるので、そういった人に任せて、自分は無難に相槌を打っていれば良いのです。

何も喋らないとつまらない奴暗い奴と思われるかもしれない、それでも何度も同じことを言う迷惑よりは何も喋らない方がマシだと思います。

人に気を遣った上に更に角を立てて自分も相手もお互い疲れて何もいいことがない労力を目標や趣味など自分の時間に使う方が有意義です。

不器用な人間を相手にする余裕がない人とは深く関わらないこと

同じことを言わないように気をつけていても100%はセーブ出来ません。

「それさっきも聞いた」ムッ!とするような相手は不器用な人間を受け入れる余裕はないので、日常の行動言動にケチばかりつけてくる相手は距離を置いて離れた方が良いです、努力でセーブしても限界があります、今一瞬だけ取り繕えたとしてもいつまでも続けられることではなく近いうちに限界は来ます。

迷惑しないようには気をつけますが、誰だって苦手なことはありますし、不器用なところもこれはこれで私なのです。

「それ聞いたよ」と言いたいことは言いつつサラッと流せるような余裕ある人間も存在します。そのくらい、人より賢い人間じゃないと不器用な人間を相手に出来る器はありません。

余裕ない人間には不器用な人間に対して「出来ていない」という情報しか見えていないので、こちらは一生懸命やっているところを人格否定する言葉しかかけず、お互い疲れるだけです。

通りすがりの人や仕事なら話は別ですが、自由に選べるプライベートな人間関係で自分で選んでおいて、不器用な相手に怒りを抱くほうも、ご自身も何か問題を抱えています。

余裕のない人間も「自分の出来ること出来ないこと」を把握することが出来ず、自分側の責任すら不器用な人間のせいにします。

そのような人に遭遇した時に自分の努力不足とか自分が悪いとか思うのではなく、ただ、この人と仲良くするのは無理なんだというサインを相手自ら出してくれていると受け取って離れるのが良いと思います。

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