人間関係も格差社会

木目のパズルの絵 過去の回想と内省

経済などの話ではなくて本来の「格差社会」っていう言葉の意味とは違うけど

クラスメートやお友達や恋人や同僚などと楽しく幸せな人生を送れるかどうかって、そういう人間関係も生まれた家で決まっている格差社会だと思った。

木目のパズルの絵

親が何だから私は一生幸せになれないとかって一生の全てを親のせいにする気はないし親が何であれいくらでも可能性はあることはわかっているけど、それでもさ、子供時代から大人になっても「そのままにしてるだけで友達が出来る」ことを知らないまま生きてくるってさ、ものすごくハンデだと思うんだよね。

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ただ立っているだけで人が集まってくる人たちの存在

まともに愛されて育って常識人の親の元、不安もなく問題なく育って、ただ学校に行って帰ってくれば良い子供時代を過ごして、そういう子ってさ、ただ立ってるだけで友達ができるじゃん。ただそこにいるだけで外でも愛されているじゃん。

仲良くしようと頑張ってもうまくいかない私

その一方、精神的に不安定な両親の元育った私は常に人に気を遣って遣って人と仲良くしようとする努力は限界までしてるのに、みんな離れていく、誤解を招く言動が多くて怠慢や悪意って捉えられて嫌われたり人に気を遣うためだけに生きてて疲れ果てて、あれしたいこれしたいってする気力がなくて中身がないから相手にされなかったり。

ただそのままにしているだけで幸せに生きていける人と、頑張っても頑張っても寂しい人生しかない私。

一生懸命やってるのにうまくいかないって辛い

悪意もって何かして嫌われているなら仕方ないと思うし怠慢して低い評価して得られないなら仕方ないと思うけど

善意で一生懸命やっているのに、どこいってなにやってもうまくいかない人生で、それでも私は自分の努力不足だと思って身を粉にして頑張ってきたことを、今、子供時代を振り返ると不憫に思います。

最初から出来上がっている差に、ちょっと理不尽を感じるかな…

幼稚な親の元に生まれた私は家でも煽られて否定されて馬鹿にされて辛いのに更に外でも、距離を置かれたり嫌がらせの対象にされるような環境しかない。

幼稚な親の元に生まれると元々こういう人生が決まっていて、まともな親に愛されて育つと家でも愛されて、外でも愛される環境があって元々こういう人生が決まっている。

それってなんだか理不尽だなあと思います。

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