体力がありあまる皆さんと常に疲れている私

過去の回想と内省

学生時代に、とにかく早く家に帰りたかった。

 

放課後いつまでも楽しくお喋り、みたいなのが苦痛。

 

でもそれは一緒にいるのが嫌なのではなくて

私はとにかく疲れていた。

朝起きた時から疲れているし

24時間続く強い疲労感で

学校は行かなきゃいけないから行くしかなくて

でも放課後に遊んだりする気力も体力もない。

幼少期の時点でこういう体だったから

これが体がどっか悪いのだという発想はなくて

私が悪いのかなって思っていた。

気合いとか努力とか運動不足とか

私の怠慢なのかなって思っていた。

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診断があれば、「こういう事情で帰るね」って言えるんだけど

私自身が体の具合が悪いのだという自覚がないからさ。

幼少期からこうだから、具合の良い体調を知らないので

これが具合が悪いということもわからなかった。

だるくてだるくてだるくてだるくて、でも

出来なくはないところがまた、自分は体調不良なのだと気づけなくて

気合いとか怠慢とかの問題だと思っていた。

 

ありあまる体力がある周囲の皆さんと

起きた瞬間からヘトヘトに疲れていて立っているのも辛い私と

一緒にいたら、そりゃ周囲の人もつまらないよねって思う。

 

私はとても遊ぶような気力はないけど

周囲の皆さんは放課後や休日に、まだまだ遊びたいでしょ。

何かに誘われるたびに、私は困った。

  • 何度も断り続けると、相手のこと嫌っているように映るよなあ…
  • でもどうしてもそんな体力ないんだ

という葛藤。

健康診断では何も異常なく、何も診断がない状態で

特に情報がない当時は健康な人には理解してもらえないと思う。

 

もし今だったら

「ごめん、私、こういう病気で遊びに行くのは厳しいんだ」

って言えば角も立てずに断ることが出来ると思います。

 

あなたのことが嫌いなのではなくて

行けない事情があるのだから仕方ないってわかると思う。

たたでさえ体もボロボロに疲れて、頭も回っていないところを

診断の出ない当時に

その状態で周囲の人とうまくやっていくことは

今振り返っても無理であったと思う。

無理難題な状況だった。

 

大人になってから、なんらかの原因で体調不良にになったのなら

具合の良い体調を知っているから

自分は具合が悪いということに気づけるかもしれないけど

私のように、なんらかの原因で幼少期の時点から具合が悪いと

具合の良い体調を知らないので

自分は具合が悪いのだということに気づくことも出来ずに

みんなは普通に出来ているのに、なんで私は出来ないの?

努力や性格や気合の問題、と自分を責めてしまい

更に疲れていくのです。

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