自分のために頑張る発想

過去の回想と内省

私は過去ずっと

  • 人にどう思われるから
  • 人に喜んでほしいから
  • 人のために

なんでもそういう動機で頑張ってきた。

 

元々真面目なので何をやっても

どうしても出来ないこと以外はある程度は真面目にやります。

なんでも真面目にやっています。

 

でも本心ではいつも

頑張った労力に見合う利益を得ていないという

不満がありました。

それは勘違いだと思います、

私は特別何か出来るわけでもないので。

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でも一生懸命身を粉にして頑張っているのは

私の中では事実です。

 

頭の回転が回復したからって

すぐに自分を取り戻すわけでもなく

今すぐ全てが良くなるわけでもなく

日々なんでもない時に突然ふわっと

これってこういうことだったのかなって気づきます。

最近気づいたことは

何かを一生懸命やることは

他者から評価を得るためにやるのではなく

自分のためにやるのだ、ということ。

 

良い結果を出せば

信用や需要を得ます。

特別良い結果は出せなくても普通にはこなせていれば

真面目な人、やることはやる人という評価がつきます。

結果的に自分に良いです。

 

やってあげてるんだぞ!っていう

高飛車な気持ちでいたら

それは周囲にも伝わるし

自分が出来ているか出来ていないかの客観性も失い

信用をなくし需要がなくなります。

出来る限りベストを尽くしてやっているほうが

自分も楽しいし。

なげやりに低クオリティなことをしていても

自分でもダメだなってわかるし楽しくない。

 

自分のために最善を尽くす発想がないと

何をやってもダメなまま成長しないと思います。

人のために生きる発想では利益がなくてつまらないから。

自分完成形と思いこんで成長もしなければ

なんでも人のせいにして成長する気もないから。

自分のために頑張る意味が

ここにいてもないと思うのならば

やめたら良いのです。

やめるか続けるか決めるのは自分の責任です。

 

お金のことに限らず、中身のある意味のある経験として

自分に何も利益がないと思うことを

頑張る必要はなく、そう判断したのならやめたら良いのです。

そうすることで自分も不満を抱えなくて済みますし

人に迷惑をかけることもなくなります。

自分はやってあげてるんだ!っていう発想で

一生懸命頑張っている時は

無自覚に人に迷惑をかけていることも多いです。

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