とっさにイイヒトを演じてしまう

過去の回想と内省

今も抜けないのが、とっさにイイヒトを演じてしまうことです。

私は元々意地悪ではありません、

器の大きい人でもないけど。

イイヒトを演じる必要なんてないのに

とっさにイイヒトを演じてしまう。

本当に根っから良い人、イイヒトではなく良い人だったら

良いと思います。

自分の都合も守りつつも穏便な対応をするかつ、

図々しい人につけいれないコミュニケーション能力のある人。

そういう出来た人間という意味の良い人だったら

元々そういう対応が出来るから良いと思います。

 

私の場合、非常識や図々しい人に遭遇すると

表には出さないけど、そのまんまイラッとくるし

関わりながらもうまく回避するようなスキルはないので。

ブログやメールのように充分に考えてから送信出来るなら

まだ良いのですが

現実世界のようにダイレクトなやり取りの世界で

今すぐ妥当な判断が出来ないことも多い。

 

イイヒトをやると自ら、粘着される材料をまいてしまっている。

 

常識人は相手がイイヒトでも

節度をわきまえて関わります。

非常識は相手がイイヒトだと

何してもいいと解釈してしまいます。

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イイヒトやったところで何も得ないどころか

デメリットしかないのに。

私のやっていることはイイヒトであり

良い人(コミュニケーション能力が高いゆえに穏便な人)ではないし。

 

良い人でもないのにイイヒトを演じる、

自分ではない自分を演じることは

自ら疲れる方向にもっていってることでしかないのに

とっさにイイヒトをやってしまうのは

今も変わりません。

 

小さな子供のころから家族にすら否定しかされない人生を送ってきて

寂しさを抱えて生きてきたゆえの

求められたい、認められたい、承認欲求はあります。

でも最近は、人にどう思われるかに努力したところで

現実は何も変わらないから、人が私をどう思おうと、

親しい人や私の世界で楽しく生きていけばそれでいいのだと思います。

 

仲良くもない人相手に取り繕ったところで何も得ないので。

どう思われるか最優先に生きている人が陥りやすいパターンが

仲良くもない赤の他人の顔色うかがって疲れ果てて近い人に当たり散らかして

自らの人生を寂しいものにします。

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