いじめ問題について思うこと

過去の回想と内省

テレビのニュースで、いじめ問題を見て思うこと。

そして私自身の生きづらかった学生時代を投影して思うこと。

 

いじめはあってはならないことだけど

いじめに限らず毎日何かしら事件が起きるように

世の中の、悪さをする人をゼロには出来ないように

現状では、いじめはなくならないと思う。

いじめに巻き込まれない人というのは

スルーしたり、うまく避ける力があると思う。

つけいってこようとしてもサラリと回避出来る

何かを持っているのだと思う。

黒い人間や幼稚な人間は、それをわかっていて

つけいれる相手を選んで、つけいっている。

自分より弱い人間に嫌がらせをすることでしか

自分を保てない弱い人間だから。

合わない人に距離を示して離れてもらうことは

そうすることにより、嫌いな人に嫌がらせをする必要もなく

結果的に誰も傷つけなくて妥当な方法だと思います。

憂さ晴らし目的や、嫌いだからといって

嫌がらせをするのは弱さだと思います。

本当に自分を持ってる人間は

人の不幸を楽しむことなんて中身もなく何も得ない、

時間と労力の無駄ですから。

本当の強さとは、嫌がらせなど無意味なことに時間を使わず、

自分の実になることに時間や労力を有効活用するでしょう。

 

勉強ができる人、苦手な人、運動が出来る人、苦手な人

絵が上手い人、下手な人、色んな人がいると思います。

何やっても上手な人なんてほんの一握りで

多くの人は得意なことも苦手なこともあります。

それが普通です。

現状の小学校中学校高校までの教育環境では

なぜコミュニケーション能力という1カテゴリが苦手なだけで

全ての道を閉ざされなければならないのでしょうか。

 

ここからはただの私の空想物語で

現実的にそうもいかないこともあると思いますが、

小学校の時点でクラス制をやめて

大学のように単位制にすれば良いと思う。

単位取得に関してはヘタクソでも

真面目にやっていればクリア出来る難易度で。

そうしないと嫌がらせに単位あげないとか起きるリスクもあるから

義務教育に関しては特に事情ない限りは留年はないシステムで。

 

たった一人の教師と合わない、

一部のいじめっ子に粘着された、

それだけで道を閉ざされてしまうのはオカシイと思う。

 

大学のように自分で時間割を組んで、

担任という1人の教師とだけ密接しない環境、

クラス関係なく、お友達を自由に選べる環境であれば

むしろ色んな人と関わる機会も増えて良いのではないだろうか。

子供時代の子供なりの人間関係というのは、

可能な限りは、出来ればあったほうが良いモノだけど

単位制にしたって、自己中心的な人や、あまりに迷惑な人は

人が寄りつかず、寂しい思いをして充分に学ぶと思うし

クラスなんてなくても充分に

子供時代に必要な人生経験値を得られるのではないだろうか。

 

不器用な子はどこにでもいて、不器用だからといって

特定の子だけを特別扱いするのも良くはないと思うけど

単位制であれば、1人だけ特別扱いしているわけではない。

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必ずしも誰かと組まなくても良い、

人間関係においては一人行動でも義務教育をクリア出来る、

そうすることにより

一部の不器用な子や、変な人に粘着されてしまう人も

可能性を摘み取られることがなくなって良いのではないだろうか。

義務教育の授業で誰か仲良い人がいないとクリア出来ないような要素を

なくしたらいいんじゃないかな。

それでも人間関係は充分に学べるでしょう?

人間関係を構築出来てないと授業のクリアにも困るような場面を

なくしたらいいんじゃないかな。

現状のシステムではクラスや人間関係に縛られて

可能性を失ってしまう子供たちも出てきてしまうのではないだろうか。

 

実際そうもいかない、という点もあると思うので

ただの私の空想物語です。

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