小学生の時、近所にYちゃんという同級生がいた。
大人になった今振り返ると
Yちゃんは特別性格が悪いわけでもない普通の子なんだけど
- 嫌いな子にプチ意地悪をする
- 積極的に悪口を言う
- 運動が得意
という感じで、お友達グループは
クラスの中心的グループに入るような人間でした。
好きなことも性格も私とは合わない。
小学校のうちは系統関係なく仲良くすることもある
中学、高校くらいの時には体育会系と、おとなしい人とか
系統で、お友達グループが、きっちり分かれたりするけど
小学生くらいだと、あんまり系統で、きっちり分かれてなくて
気まぐれに仲良くなったり離れたり。
私とYちゃんはそんな関係だった。
仲良い時もあれば、すごく仲が悪い時もあった。
その時、私はYちゃんと仲が良い時期だった。
学校から家に帰った後も遊んだりしていた時期だった。
私としては普通に仲良くしていたし特に何も意識していなかった。
特定の、あの子と仲良くしなさいと強要する母親
ある日、私の母親が
「Yちゃんと仲良くしなさいよ、近所の子なんだから」と言ってきた。
「今は仲良いみたいだけど、仲良くない時もあったでしょ」
「仲良くしなきゃだめでしょ」というような内容でした。
私はその時「は?今、仲良いのに。」と思った。
大人になった今振り返っても「は?」って思う。
Yちゃんと仲悪かった時期っていうのもその時から一年も前の話で、
子供にとって去年の話なんてもう忘れているし。
その後もYちゃんとは仲良いと思えば今度は避けたり
また仲良くなったと思ったらお互い嫌ったり
不安定な関係ではあったけど、子供なんてそんなもんじゃないの。
大人目線で、私とYちゃんとの関係を振り返ると
知人友人程度にはなれても、親しい友達にはなれないと思うよ。
趣味も性格も違うし、例外は抜きにして
だいたいこういう子と仲良くなるっていう雰囲気って決まっているでしょ。
積極的で派手なグループに所属するような人は元々そういう雰囲気だし、
おとなしい人が派手なグループに所属することってあまりないし。
大人になるとまた違うんだけど、小学校~高校くらいまでってそんな感じでしょ。
自分の都合なのに「あなたのために」と他者を主語にする
嫌われないためだけに生きているような、うちの母親にとって
私が近所のYちゃんと仲が悪いと
親の私が変に思われる、嫌われるっていう発想なんだろうけど。
それを「あなたのために」言ってあげてるのよ、と
子供を主語にしてしまっていることがまた厄介。
他者を主語にしてしかモノを言えず、
自分を主語に出来ないんですよね。
自分の発言に責任を取りたくない、責任逃れもあるのかもしれないけど
素で自分と他者との線引きが出来ていないところもあると思う。
自分の都合なのに他者を主語にしてモノを言うくらいだったら
「親が変に思われたくないからYちゃんと仲良くして」って言うほうが
まだマシだと思う。
他者を主語にしないで自分自身を主語にするほうが
自他の区別つけて自分の人生を生きているだけマシに思います。
子供同士の関係は子供同士の関係であって
親がどう思われるという発想自体が認知のズレを感じます。
私が何か特別に迷惑行為をしたのであればまた別の話だけど
私とYちゃんとの間では
- なんかこいつ嫌い
- 離れよう
その程度のことであり、お互い特に何かあったわけではありません。
合わないから離れる、それだけのことでした。
人間関係のためだけに興味のないことを習い事出来るか?
Yちゃんとは、さしあたりなく挨拶をする程度の関係、
知人程度の関係でいることは可能だと思うけど
性格も好きなことも違うし、お友達として仲良くするのは無理だよ。
母親に対して、あなたは料理が大好きなAさんがいたとして
Aさんと友好的関係を築きたいっていう理由だけで
好きでもない趣味に習い事にまで通ってAさんと仲良くするんですか?
- それが出来ますか?
- それで楽しいですか?
- 何のメリットがあるんですか?
- お互い疲れるだけじゃないですか?
って思いますね。
お友達とは、
趣味を共有出来るとか、何か一緒にいて楽しいメリットがあるから
自然に繋がっていくものであって
誰と仲良くしようって意識して仲良く出来るものではないでしょ。
Yちゃんとは、無難に挨拶する程度の関係が
私に出来ることの限界であり
親が望む、特定の子と仲良くしなさいっていう指示を叶えるのは
無理な話です。
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