父親にとって私はボタンを押すとランプがつく玩具

過去の回想と内省

普通、自分の子に対して

可愛い服を着せてあげたいとか

笑った顔、喜んだ顔が見たいとか

そういう気持ちで接するものだと思う。

私の父親にとって自分の子供は

ボタンを押すとランプがつく、

スイッチを入れると動く、

玩具のような感覚でしかないんだなって思う。

そこに悪意はなく。意味もない。中身もない。

玩具のボタンを押してランプがつくように、

  • 子供を悲しませる発言をして反応を楽しむ
  • それを執拗に繰り返し楽しむ
  • 本人は面白いと思ってやっている

相手が傷ついているという発想はなく

自分の言動により子供が泣いていても

まだ続けている。

ただ用があって出かけただけの母親のことを

お母さんはお前のことが嫌いだから出て行った!と脅し

子供が泣いているのに、面白いと思って、

もう帰ってこない!と、まだ続けていたり。

悪意があってやるのも問題だけど

そこに悪意も意味もないから、また困る。

自分のやっていることが記憶にない、

というほうが近いのかもしれない。

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オモチャはたくさん買ってくれるし、

欲しいと言えば欲しいモノは、たいてい買ってくれる。

うちは、よその家よりもたくさんオモチャがあったし

ゲーム機は、一家に一種類の一台という時代に

何台も色んなゲーム機があった。

父親はゲームは一切しない。子供のために買ったモノ。

決して、子供を愛していないわけではない。

そこがまた辛い。

そこはちょっと空気が読めない人が気前よく奢りまくって

好かれようとする発想にも似ているかなと思う。

 

私は、ごく普通の愛情を

かけて欲しかったです。

 

子供に可愛い服を着せてあげるのではなく、

子供に良かれと思って何かをするのではなく

悪意はないと共に意味もない父親。

これやったらどうなるのかな?どうするのかな?と

子供の悲しむ顔を楽しむ父親。

オモチャのスイッチを入れたら動くように

ただ子供の反応をオモチャのように楽しむ父親。

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