100人いて100人誰とも仲良くなれなくても

誰とも仲良くなれないのなら一人で過ごせばいい 過去の回想と内省

どこにいってもみんな誰かしら仲良い人がいる

実際の仲がどうかまではわからないけど

どっかの輪に入って行動を共にする人がいる

私には、皆さんに誰かしらお友達がいることが

特別なことに見えた

みんな誰かしら友達がいることが不思議だった

人が少なければ少ないほど

趣味や性格が合う人に出会う確率が下がるから

1人2人という少人数だと

誰とも合わないということは

普通の人でもありえることだと思う。

そして、コミュニケーション能力が普通にあれば

100人もいたら誰かは気が合う人がいる

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一人なら一人で出来ることを探して一人の時間を過ごす

もしも100人もいる場所で

1人も仲良くなれなかったとしても

それ自体は別にいいと思う。

 

むしろ、相手は私に興味がないのに

無理に入っていこうとするほうが

私も疲れて相手も迷惑で、お互い辛いだけ。

 

自然に仲良くなった人とだけ仲良くして

もしも誰とも仲良くなれなかったとしても、それ自体はそれでいい。

そうならそうで、本を読んだり趣味に費やして自分の時間に使えばいい。

本来は、人と交流して共有交換すること以外にも方法はある

「出来ない人」や「交流に興味のない人」に対して

  • 輪に入っていきなさい
  • 入っていく努力をしなさい
  • 交流や友達は必要なもの

などと強要する人間もいます。

でもそれは交流を楽しいと思う人や

標準又はそれ以上の空気を読む力やコミュニケーション能力がある人前提の方法だと思います。

交流することによってメリットを得られる人や

難なく交流していける人は、人と関わって共有交換していく方法がいいと思うけど

必ずしもその方法じゃなくてもいいよね

必ずしも人と共有交換しなくてもいいよね

 

用件はこなして、迷惑はしないのであれば

誰とも仲良くなれなくても

無理にどこかの輪に入ろうとしなくてもいいと思います。

 

「出来ない」から出来ないのであって

出来るなら交流しています。

出来ないなりに、出来ることの中から対策を考える

「頑張ればどうにかなる」と思って

興味もないのに人のご機嫌うかがって

どうにかどこかに入ろうとすることのほうが

お互い疲れるだけで効率も悪いと思います。

 

頑張っても頑張っても出来ないことは

出来ない自分を受け入れたほうが

出来ないことを頑張ろうとしていた時よりも

出来ることが増えます。

出来ないのは努力の問題ではない、

出来ないからといって迷惑をしていいわけではない。

そう考えた結果、極力人と関わらないようにするしかないんですよね。

 

出来ないのなら、

なんとか人の輪に混ざろうと無理に入っていこうとしたり

人とうまくやろうとするよりも

用件以外喋らず、角を立てる可能性を減らす方が

「出来る事」、現実的な方法だと思います。

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