そういう種類の強さ

過去の回想と内省

私は、自分が

一般的「普通」を求めて一生懸命努力してきたので、

型にハメて、厳しいふるいにかけて

正しい、間違いって二択しかないような思考の時もありました。

その結果、どんどんキツい性格になっていくし

普通になろうと必死に人の顔色うかがったり、

これは普通なのか、変なのかって考えて

自分のやりたいこと、意味のあることを全くしてこなかったので

普通になろうとするその労力を自分のことに費やしたほう

自分にとっても、周囲にとっても良いと思い、

普通になろうとするのはやめました。

人を巻き込んだ迷惑はしないように気をつけるけど。

 

与えすぎる親、子供に憑依して子供自身が学ぶ機会を奪う親、

子供に対して先回りしてトラブルを回避しようとする親、

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一言でいえば過干渉

そして

離れたらいいのに笑って頑張っていつまでも頑張り続ける人、

頑張るのはいいことなんだけど

世の中、よくないこと(人)もあるので

回避するのが正解な場面もたくさんあって

頑張ればいいってもんじゃないっていう話。

 

そういう人を見ると

自分に重ねて、イライラしていた。

「間違っている」と思っていた。

ましてやそれが自分の親や身内だと、

私の思考パターン形成にも影響して、

だから、イライラしていた。

 

でも今思うと、

例えば、自分の親が毒親だった。

自分はそうなるまいと思って

自分は毒親から被害をくらって

嫌な思い、辛い思いをたくさんしたのに

自分はそういう人と同じことをしない!という考え

過度に与えすぎる、過度に人のことをやりすぎる人に

なってしまうというのは、

自分は嫌な思いをしてきたのに

人に同じようなことをしてはいけないと思ったゆえの

行動、言動なので

ある意味、それは強さだよね。

今は、

そういう種類の強さもあるんだ、って思います。

そういう人もいるんだ、という感じで。

 

嫌なことをされ続けたら自分も

されたことと同じことを別の人にしてしまうようになるケースも

多いと思うので。

自分はこうはならない!、同じことをしてはならない、という

発想が持てるのは強さだと思います。

 

こちらのことを否定しかしない人間に遭遇したら

離れれば良いのです。

そうもできない事情も存在するのもわかるのですが

否定しかしない人間は、

事実や結果を問わず否定しかしないので。

対処法としては離れるしかないのです。

離れたらまた別のターゲットを見つけるのでしょう。

そういうことにしか楽しみを見つけられない、

そうやってしか自分を保てない、虚しい人間なのです。

そんな暇があるなら、もっと出来ることがたくさんある。

絵とかスポーツとか読書とかゲームとか料理とか旅行とか、

楽しいこと、意味のあることはたくさんあると思います。

そんな中、人にケチつけて気晴らしすることでしか

自分を保てないのですから可哀想な人だと思います。

そういった人に遭遇して、事情により離れることが出来ない、

それは「それが家族であった」などの理由で。

そういう苦境の中、否定されても否定されても

どんなに苦境でも笑顔で、笑って、明るく頑張るのは

それはそういう種類の強さなのだと思います。

間違いではなく、強さなのだと思う。

 

私は、トラブルを、よけれないゆえに

避け方がわからないゆえに

色んな嫌な思いをしてきました。

そしてスルーというのはだいぶ大人になってから理解しました。

そういう、私が気づき始めた時に、回復度が浅い時に

もう離れたらいいのに、

笑って頑張っているのを見ると(もしくは回想すると)

自分に重ねてイラっときてしまったりしていました。

私は普通になろうとするのをやめて我が道をいきます。

人を巻き込んだ迷惑はしないように気をつけます。

そうすることによって、

色んな考えがあることを、その考え自体は同意できないことはあっても

「そういう考え、やり方もあるんだ」という

視野の広さを持てるような気がします。

 

一生懸命、普通になろうと頑張ると

我慢我慢で、どんどん性格がキツくなっていくような気がするので。

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