私が子供の頃は、親の仕事の関係で転勤族だったから
いくつかの環境を体験しています。
学年で2クラスしかなかったり、5クラスあっても人数が少なかったりすることもあれば
1クラスに50人くらいいるうえに10クラスもあるマンモス校にいたこともある。
1学年で100人以下だと私レベルに不器用な人は私しかいないということもありえるけど、
1学年で500人以上いると、
私のような人がクラスに一人ずついたりすることもありえるんですよね。
学校側の内情はわからないので想像だけど、クラス分けって特別不器用な人を1クラスに一人か二人くらいずつ分散するようにしているのかもしれない。
学年の人数が少ないと不器用な子の人数も減るから、たまたま振り分けられたクラスに入るのかもしれないけど、マンモス校みたいに人数が多いと変わった子の人数も増えるから、1クラスに一人ずつ分散するというようなこともあるのかもしれない。
何をしたわけでもないのに嫌われている人
マンモス校にいた時はクラスに一人くらいは不器用な子がいた。
私も含めた不器用な子については、全く喋ったことがない人であっても
「嫌われている人」として噂になっていてみんな知っている。
本人には言わないから陰で私のことを言われていても私の耳には入ってこないし、
噂になっている不器用な子が具体的に何をしたのかは知らないけど、
何をしたわけでもないんだよね。
特別性格が悪いわけでもなく、意地悪なわけでもなく、
悪意持って何かするわけでもなく、何か大迷惑をしたわけでもなく
「なんだかよくわからない子」が、一人ぼっちになったり
全く喋ったことがない人の耳にも噂が回っていきます。
トンチンカンだったり、空気が読めなかったり、不器用で
何がしたいのか、なぜそのような言動行動を取るのか、よくわからない子。
一人ぼっちになる子に性格の悪い子はあまりいなかった
そういえば、噂になるくらい不器用な子に特別性格の悪い人って
私が知る限りでは、いなかったように思う。
むしろ、嫌われないように一生懸命イイヒトやっている人のほうが多かった。
それか、割り切って一人でいて静かにしているか。
私自身の過去を振り返ると問題がある子なのは事実だったと思います。
事務的用件はこなせるんだけど、空気を読む力が低かったり、うっかりミスやトンチンカンが多くて、周囲がイライラしたり距離を置かれるという感じだったと思います。
教科書のこの問題を解きなさいみたいにペーパー上のことだったら、特別人より出来ないということはなかったと思います。
しかし、実技・実演・実習が苦手だったり、
一人分ずつ用意されていなくて順番のようなルールもなくて、ここに置いておくからみんなで体験してねっていうシーンだと入っていけなくてあぶれてしまう。
弁当箱に入れて一人分ずつある状態なら食事にたどり着けるけど、
大釜から各自取って食べてくださいというシーンだと、ようやく私が大釜にたどり着いた時には私の分のごはんはないという感じですね。
特に何かをしたわけではなく空気を読む力が弱かった
確かに、みんな普通にやっていけるのに私だけ目立って出来ないというのは
私に問題があると思います。
しかし私は誰を攻撃するわけでもなく、意地悪をするわけでもなく、ただただ「なんか不快」「なんか嫌われている人」なんですよね。
悪意持って動く人というのは、空気を読んで立ち回れるから一人ぼっちになりません。
そして悪意が通用してしまうから味をしめて同じことを繰り返します。
私のようにひたすら不器用な人は、悪意持って動いたところで立ち回れず、自分の立場を悪くするだけなので、人に嫌がらせするという発想自体もないのです。
というより、慢性疲労がきつくて誰かに嫌がらせするような気力も体力もないし。
何も診断出ないから正当性のある休む理由もなく、学校には行かなくちゃいけないので、学校行って、部活も強制なので何かはやらなくちゃいけなくて、
朝8時前に家を出て帰ってくるのは夕方の6時過ぎ。
あの時の私の体力では学校行って帰ってくるだけで精いっぱいなんですよ。
本来は、部活なしで放課後はご静養にあててどうにかやっていけるくらいだったと思います。
当時の医学では診断が出ないから、健康な人とみなされ、健康な人と同じことをこなさなくてはいけなかったので誰が悪いわけでもなく仕方ないのですが。
大人たちは性格が悪いと決めつけて私を責める
何をしたわけでもなく、私の中ではこれ以上無理なくらい頑張っていても
学校の先生など大人からは、私が一人ぼっちでいると私が悪いかのように責められます。
客観的に見て、私に原因があるのは事実だと思います。
体調不良が原因で、物事を把握する力が低下し、人々は私にイライラします。
でもその体調の私には、何をどうしたらいいのかわからないし、なぜみなさんが怒っているのかもわかりません。
当たり前のことを把握する思考力がなくなっているのです。
どうやってもうまくいかないし、やりすごす方法としては人と関わろうとしないで一人でいることによって人に与える不快感を軽減するしかなかったと思います。
ところが教師たちは、一人でいるという選択肢を取り上げて禁止して、
責められた私はなんとかお友達グループに所属しなくてはいけないと思って、ただでさえ疲れているところをリソースの全てを「イイヒトをやってお仲間に入れてもらおうとする」ことに割かれ、
いつも人々に対して腫れ物に触るように気を遣って生きてきました。
それでもうまくいかないんですけどね。
性格の悪さと認知力の低下は別物
過去の私の辛さは、徒歩でどんなに頑張ってダッシュしても
自転車には追いつけないのと同じことだと思います。
そこまでのハンデがあっても目に見えず、診断も出ないから
私の怠慢、性格が悪いなどとみなされてしまうのです。
徒歩で自転車と同じ距離を行くのだとしたら、そうとうな時間と労力が必要です。
そのくらい頑張って、なんとかやり過ごしています、
それでも性格の悪い人としかみなされないのです。
一人ぼっちになる理由とは、性格が悪いのではなく
何らかの原因で物事を把握する力が弱くなっているからだと思う。
それは体調不良かも知れないし、ストレスによる疲れからくるものかもしれないし
なぜ認知が弱くなるのかについては人それぞれの理由があると思うけど
認知が弱くなっていることと、性格が悪いということは別物だと思う。
むしろ、健康で問題なく立ち回れている人のほうが自分の立場を悪くせずに人に嫌がらせすることが出来てしまうから意地悪な人、性格が悪い人が存在すると思います、もちろんそれは一部であってみんながみんなそうではないけど。
大人になったらある意味みんな一人なのだから、小学校中学校高校というある程度のレールがしいてあった学生時代とは違って、高校卒業したあたりからは
自分のやりたいことを自分で決めていく、それは人と比べるものではなく、自分次第という意味で
大人になったら誰しもが一人なのだから
大人たちは、言われたままにやろうとしてしまう真面目で不器用な子に「必ずしも誰かと一緒にいなきゃいけなくて、一人でいてはいけない」ということを刷り込まないでほしいです。
コメント