人を見抜く方法とは、男女問わずこの人と結婚できるか?と考えてみる

人を見抜く方法 過去の回想と内省

私は人を見る目が全くありませんでした。

利用目的、煽り目的で近づく人、弱い者めがけて上に立って自尊心を保ちたい人、

一言でいえば人格障害(パーソナリティ障害)のような人ばかり引き寄せていました。

私も私で、私に悪意しかないような人相手にも、

関係を悪くしてはいけないとか、なんとか仲を取りもとうとしてしまうから

変なのに粘着されることを繰り返すんですよね。

餌を与えなければ相手から離れてくれるのに

融通が利かなくて、一点しか見えていなくて、

一緒にいなくてはいけない関係ではないのだから

距離置きを示して離れればいいものを、それが出来ない。

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相手が人格障害っぽい危険な人であることは把握している

トンチンカンな私も、IQ自体はまともで

物事を把握する力がないわけではなく、

インプットはそこそこ妥当だけどアウトプットがおかしいという状態でした。

どういうことなのかわかっているからこそ、

わかっているのにうまく対処できないことに

イライラや悲しみを覚えます、自分に対して。

でもね、心のどっかでは

今、どうにかこの人と関係を保っても

いつまでもは続けられないってわかっているのです。

把握した情報にふさわしくない指示を出してしまう

わかっているのに、心に何らかの縛りがあって

  • 人を悪く思ってはいけない!
  • どうにかこの人とうまくやっていかなくてはない!
  • 人に嫌われてはいけない! 等

私の脳に、心を無視した指令が発動するのです。

心では、相手は私と仲良くする気はないことをわかっているのに。

仲良くする気がないだけなら別にいいのですが、

ある時は仲良い素振りを見せて、ある時はネチネチと執拗に煽って

いいように利用して、お友達として仲良くする気はない感じでした。

広い視野でトータルで見た視点で対処する力に弱い

どうして頭ではわかっているのに、

私を否定する気しかないような人との仲を取り持とうとしてしまうのか

私自身、わかりません。

でもそれは例えれば、今500円持っていて、ものすごくお腹が空いていて

300m先にある500円の定食を食べるほうがいいとわかっているのに、

ものすごくお腹が空いていてフラフラで

疲れていて、物事をトータルで考えることが出来なくて、

目の前のコンビニで150円のアイスを買ってしまう感じです。

それは悪手だとわかっているのに、

目の前にあることだけを見てどうにかしようとしてしまう。

安物買いの銭失いに似ていると思います。

安くて用件も満たすならそれでいいのですが、相場くらい出さないと用件を満たさないことって結構あって、結局、買いなおしてお金を無駄にする、最初からちゃんとしたものを買えば良かったのに、そういう感じです。

この人と結婚して毎日、一生、生活を共に出来るか、と考えてみる

どうして一緒にいて楽しくもない人、私に悪意しかない人、私を人格否定してくるような人、そういう人に対して、なんとか関係を悪くしないようにしようとするのか

私にもわかりません。

でも、一つ、そんな状態でも、人を見抜く方法としては

相手が男性でも女性でも、恋愛はもちろん、恋愛感情ではなく、ただの友人関係だとしても

  • この人と結婚出来るか?
  • もしもこの人と結婚したら、やっていけるのか?
  • この人と一緒にいて生活は回るのか?
  • 一緒に住んで毎日やっていけるのか?
  • 一生を共に出来るか?
  • この人と幸せに生きていくことが出来るか?

そのように、この人と結婚してもやっていけるのか、

と置き換えて考えてみるとわかりやすいです。

DVみたいな人と結婚は出来ませんよね、それはわかりますよね。

DVみたいなのと結婚したら、先は見えていますよね。

同性のただの知人、友人相手にも、そのような認知を使えば良いです。

意地悪な人はずっと意地悪、変わることはないと思ったほうが良い

意地悪な人は意地悪だし、意地悪しない人は意地悪しません。

人って、そう簡単に変わるものではないし、

変わることを求めるのではなく合わないのなら離れるしかありません。

意地悪な人は、どうせ私に対して悪意しかありませんよ?

変わることはありません。

意地悪とは暇人がやること、自分をちゃんと持った人間と関わる

意地悪な人が今後変わる可能性は1%はあると思いますが、わざわざ意地悪な人を選んで相手の心が変わる可能性を考えるよりも、最初から、人に意地悪をしない、自分をちゃんと持った人間を選ぶほうが良いです。

意地悪とは何の生産性もなく、これといった目標なく生きている暇人がやることです。

目標や大切な人との楽しい時間がある人間は、意地悪している暇はありません。

わざわざ信用ないモノを自分から選ばなくてもね。

自分の感じたことを受け入れて信じること

どんなに不器用でも、自分の感じた

あれ?っていう違和感、それはたいてい当たっています。

人を陥れる気しかない意地悪な人間とか、自分より弱い者見つけて相手を否定する気しかない幼稚な人間とか。

どんなトンチンカンでも、ちゃんとわかっているんです。

悪意ある相手すら受け入れようとしてしまう原因

ただ、変な心の縛りがあるだけ。アダルトチルドレンや機能不全家族育ちなどが原因で、融通が利かない「相手を悪く思ってはいけない!」という指令が脳から出て縛られるのです。

きっとそれはね、私自身が受け入れて欲しかったんだと思う。

だから、人のことを良く思おうとしてしまうのだと思う。

自分を投影

私は不器用で、悪意とか怠慢とかみなされるけど、常に善意で一生懸命やっているから、

その気持ちを人に投影してしまっていたんですね、きっと。

でも今はもう、誰にも受け入れてもらえなくてもいいんですよ。

自分のために生きた時、人にどう思われるかはどうでもよくなっている

人に受け入れてもらうために生きているのではなく、

自分のことやるために生きているので。

外観を取り繕って自分を良く見せたところで幸せになれるわけじゃないし、

自分がやりたいことをやって、大切な人と楽しい時間を過ごして、

幸せに生きていたら、人にどう映るかなんて意味がないものです。

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