イイヒトやれば友達が出来るわけではない

本当に性格が悪い人っていうのは

黒く立ち回れるので一人ぼっちにならない。

一人ぼっちになるような人は

性格が悪いのではなくて

不器用なのだと思います。

友達がいない=性格が悪い、とは限らない。

輪からはみ出る=性格が悪い、とは限らない。

意地悪なわけでもないのに

友達がいないことを性格が悪いと決めつけて

大人が子供を叱るのは良くないと思います。

それは人格否定だと思う。

運動が苦手な人、勉強が苦手な人、誰だって何かしら苦手なことはあって

たまたま人間関係を立ち回ることが苦手だというだけ。

努力でなんでも叶うなら、全ての人が日本で一番頭の良い大学に

入れるという理屈になります。

人間関係が苦手な人に、本人の性格が悪いだの努力の問題だの強いるのは

じゃあ全ての人が、頑張れば日本で一番頭の良い大学の入れるのでは?という

理屈になってしまいます。

なんで他のジャンルの「苦手」は、色んな人がいるとか個人差とかで受け入れられるのに

コミュニケーション能力とか人間関係だけ

本人の性格や努力の問題にされてしまうんだろうね。

 

定型(普通に立ち回れている人)にとって

あまりにも当たり前のことで

なんで出来ないの?って思われてしまうのは仕方ないとは思うんだけどさ。

でも、誰だって苦手なことはあって、それがたまたま

コミュニケーションだっただけじゃん…

 

人を攻撃する気もないし悪意持って何かする発想もない。

不器用なだけで、それを「性格が悪い」という評価しか得られないのは

ちょっと理不尽感も感じます、私の子供時代に対してそう思う。

何か意地悪とかしたんであればそういう評価を得ても仕方ないと思うけど。

 

外の人からは迷惑は迷惑、という評価しか得られないのは仕方ないことだと思います。

みんなで一つのことを達成して利益を分配する社会だから。

 

でも、親とか身近な人は

悪意とか性格が悪いとか決めつけずに

具合が悪いのでは?何か原因があるのでは?って考えてあげて欲しいです、

それはうちの幼稚な親に対して思います。

 

例えばコンビニで2つのレジがあって

ものすごく優しくて思いやりがあるけど

1人の会計に10分もかかる店員Aと

いらっしゃいませありがとうございましたと定型文のみで

1人の会計を1分で問題なくこなし店員Bがいたとします。

そうしたらみんな店員Bのレジにいくでしょ?

それは店員Aの性格が悪いのではなく

その場における、やることをこなす能力が低いのだと思います。

 

どんなに優しくて思いやりがあっても

やること出来てないと輪からはみ出ます。

迷惑は迷惑でしょ。

 

優しければ、イイヒトやれば好かれるって勘違いしちゃうと

何の改善にもならないので

優しいかどうかと、用件をこなせるかどうかは

分けて考えたほうが良いと思います。

そういう方法で友達の輪に入ろうとしても

人からの評価が変わるわけでもなく、

何も報われないし、いいように利用する黒い人間を引き寄せてしまうだけなので。

結果的に自分が疲れるので。

 

やることも出来ていて穏便な対応を取れる、

特にコミュニケーション能力が高い人もいるけど

みんながみんなコミュニケーション能力が特別高いわけでもなく、

不器用なところを「特別コミュニケーション能力が高い人」に

なろうとするんじゃなくて、

不器用なのであれば人間関係は無難な対応に留めて

やることに集中したほうが良いと思います。

 

空気を読めないからそこ、必死に人の顔色うかがってしまうと

用件にもまともに手がつかなくなるから

うまくやろうとしないで、用件以外極力喋らないとか

そうなんだーみたいな流す対応のみにするとか無難な対応に留めて

やることに集中したほうが結果的に良いと思います。

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