1円にもならない、いや1円にはなるよ

やって意味があることとないことを考えてみる 過去の回想と内省

お金云々の話をしたいのではありません。

 

絶対に1円以上になる可能性のないこと、

やっても意味のないことをやり続けると

誰にも相手にされない寂しい人生になるし

何の実にもならない。

 

1円にもならないこと、1円以上になる可能性がないこととは

例えば、寂しくて誰でもいいから構ってもらおうとすることを繰り返し

用件が何もないこと。

 

例えば、趣味で音楽の勉強をしたとします、

それ自体は1円にもなりませんが

スキルとしては意味があるので

いつか何かに役に立つかもしれないという意味では

1円以上にはなる可能性があります。

 

1円にもならないこと=完全に意味がないことだと思います。

そこに1円か100円かは関係なく。

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人の顔色うかがいをする程に寂しく無意味な人生になる

友達がいるように見せる、誰かといなくちゃいけない、

人とうまくやることだけを用件にして生きてしまう、

それは内容がないので、後に何も残りません。

ただ疲れて自分の人生を浪費するだけです。

人に好かれようとすることに何の価値もない

人は、一緒にいて楽しいとか、一緒に何かしたいとか

用件で繋がっていくものです。

そこを、なんとか人に取り繕って仲良くしてもらいたいという発想で

人と仲良くすること自体を用件にしてしまうと

中身がないから、用件やテーマがないから

誰とも繋がりようがありません。

このような認知に陥ってしまうと

誰が自分をどう思った、と気に病むことを繰り返して

意味あることを何も得ないのです。

人にどう思われるかに捉われて疲れてしまい

肝心の、用件や中身のあることをやる気力がなくなります。

目標持って生きれば好かれる嫌われるに捉われなくなる

例えば、中身を磨くのではなく

自分を良く見せようとすることだけに全力を注ぐと

それは1円にもならないこと=意味のないことと言えます。

自分を良く見せる努力をしても

自分のレベル自体が上がるわけではないので。

 

1円にはなる可能性があることをやって生きているほうが

目的や用件があるので、誰かとうまくいかなくても

反応が浅い相手や、明らかに私にだけ冷たい人に遭遇しても

この人は私に興味がないんだ程度に思えるようになります。

テーマなく生きてしまうことが最も精神を疲労させてしまいます。

1円になるかならないかは、やって意味があるかないかの目安となる

現実としては1円にもならなくても経験として役に立つという意味では

1円にはなる可能性がある(中身がある、意味がある)こともたくさんあります。

だから今やってることが今1円にもならないから

意味がないということではなくて

用件にピントが合わず人の顔色伺う認知になってしまった時に

認知がそうなってしまっているので、そこから抜け出すことは簡単ではなく、

そういう時に

1円になるかならないかっていう考え方を使うのも

1つの指標になると思います。

 

例えば、気が乗らないモノに誘われたとして

内容に興味がないなら行かなくていいし

興味はないけど仕事関係であれば行った方がいいし。

誰にどう思われるかに捉われるのではなく

用件で判断する認知が必要です。

 

こうやっていちいちあれこれ考えることに対して

ごく普通の人は「は?」って思うかもしれないけど

子供の頃から

人にどう思われるために生きなくてはならない環境で育ってくると

そこから抜け出すことは難しいのです。

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