不器用な人を、こういう種族として捉えたらいいんじゃないのかな

過去の回想と内省

自分や家族、親、身内が発達障害かどうか、ということよりも

自分たちはこういう種族なんだ、と自分の中では自分を受け入れて

近い人たちを大事にしていればそれでいいんじゃないのかな。

 

現代のこの世の中は、いや現代というよりも、はるか昔の時点で

コミュ力がある人たちのほうが世の中、優位だと思う。

人間としての優劣の話じゃなくて、世の中やっていくのに有利だと思う。

 

どうしてもコミュ力がなかったり、立ち回る賢さが低いと

嫌な思いをしたり損をしたりする。

だけど

それでコミュ力が水準以上ある人と同じようになろうと

その人たちの輪に入れてもらおうと

必死に努力して、我慢して、努力して努力して

元々向いてないところを努力して、我慢して努力して

その結果、近い人や自分に似た人に怒りを持ったり

否定したり攻撃してしまうようになるのって

 

スポンサーリンク

すごく寂しいことだと思う。

 

我慢我慢のツケは、必ずどこかに現れると思う。

それは、ストレスにより身近な人にアたってしまうとか

自分はこんなに努力してるんだから、近い人もこうあるべきだ!と思ってしまうとか。

 

コミュニケーションや立ち回りにおいて不器用な人を

そういう種族なんだと捉えて、

高コミュ力の人や水準以上のコミュ力の人は

そういう種族なんだと捉えて、

用件のやりとりと無難に受け流す程度の距離に認識して

近い人を大事にしていたらいいんじゃないのかな。

自分も受け入れて、近い人も受け入れて。

 

水準コミュ力の人であっても、低コミュ力の人であっても

よそのことは、無難な受け流しと用件のみで良くて。よそはよそ。

 

低コミュ力の人が、家族、身内、親友等、近い人であった時

こういう種族なんだって思えばいいんじゃないかなって思う。

コメント

タイトルとURLをコピーしました